憧れてた海外③ パックパッカー編
海外への憧れが強すぎて1年間海外で生活してみた話です
注意:20年以上前の話です
前回のお話はこちらから
ボスに気に入られて…
まじめに馬のフンを取り続けてきた甲斐あってか、おばあちゃんにすごく気に入られてしまって…もう一つ経営してる牧場のほうへ行かないか?と言われまして。
おばあちゃんも何日か行くから一緒に来いということでついて行くことに。
そこはさらに規模が大きくて数人イギリスからきてるホースインストラクター?のような女の子たちもいてそこでまた新たなフンを取り続けることに。
信頼されてるのはいいけど…
なんでついてこいと言われたのかというと、そのイギリス人の女の子のご飯を作ってあげてほしいと。あなたの分とあの子たちの分毎回このお金を使ってねって食費渡されて…
来たばかりの子だからか知らないけど、他の子は自分でやってるのになぜだろう?と思いつつ、まあこれで引っ張ってこられたんだからと夜だけ食事を作ってました。
食事といっても向こうのは簡単で肉焼く、ウインナー焼く、マッシュポテト作るみたいなものであとパンでも添えとえばオッケーなんで。
とはいっても休みの日とか買い物も私だし、メニュー考えないといけないし、馬のフン取るの忙しいしで(広くなったので)エサやりとか馬を引っ張って行ったりとか馬小屋の掃除とか仕事も増えて前より大変でしたね…。
日本語忘れる?
2〜3日私と入れ替わりに向こうに行く同じ日本人の女の子と一緒になった時あって、久しぶりの日本人!と思って(その子は英語ペラペラだった)
今も連絡取り合ってるんですけどその子がずーっと日本語で私を呼んでるのに気づかなくて。
現地の高校生の男の子に「さっきから日本語で呼ばれてるぞ?とうとう日本語忘れたんか?笑」って言われて振り返ると
「ずっと呼んでたのにーやっと気づいた!」と言われるくらい反応できないこともありました。
3人で大笑い。
オーストラリア一周へ
そんなこんなもありましたが、女の子たちとはナイトクラブ行ったり、ドライブ行ったりお話ししたりして仲良くしてくれました。
この時点でもう半年くらいになるので、残りの半年はそろそろ一周の旅でもしたいなぁと思いそのことを伝えるとすごい引き止められて…まあフン取る人いなくなるしね。
惜しまれつつ?牧場を後にしました。
バックパッカーの旅
半年くらいすると電話できるくらいにはなってたんで(言ってることがなんとなく理解できるけど喋れないくらい)宿の予約したりバスの予約したりくらいはできるようになってました。
1人旅だったのでよく他の国の同じバックパッカーの人たちから声かけてもらえました。
日本人は大体群れているので話しかけにくいと。あなたは1人なのね笑みたい感じです。
よく聞かれたのが「あなたは日本で何してる人なの?」
当時これといって何もしてなかった私は答えられませんでした。
自分はこうですみたいなものそういえば何もないな…みんな何かしら自分はこうよ!みたいなの語ってくれるんだけど…なんかそういうのいいなあ…私も何かこうですって言えたらなあ…とぼんやり考えていました。
長距離バスや列車を乗り継いで、フルーツピッキングなどのバイトなどやりつつ、拙い英語力で半年かけてぐるっと一周しました。
旅はまあパンとかお金盗まれたり、フルーツピッキングでケガして病院連れていかれて謎の注射を打たれたり、なかなかバイト受け入れてもらえず途方にくれたり、オーストラリアの広大な景色に感動したりと
またここでもいろんなことあったのですけど長くなるので省きますね。
帰国前におばあちゃんに会いに行って「一周してきたよ!!こんなことしてあんなことして、ここも行って…」って話すと
「すごい!!でも相変わらず英語ダメねーっ」て言われました。
「日本に帰ったらちゃんと英語勉強してね。あなたと色んな話してみたいから…あなたはサイコーの女の子だったわ!」
おばあちゃんごめんね…今もっとひどくなってます笑
こうして私の憧れだった海外の生活に幕を閉じたのでした。
4部へ続く