旅嫌い
一昨年の夏は大阪と沖縄に行ったし、去年の夏は神戸と四国。冬には沖縄に行った。
飛行機も、新幹線も、夜行バスだって大好きだ。
そんな話をすると決まって
「旅行好きなんですねー」
と言われる。
知らない土地にいったり、いろんな乗り物に乗ったり、綺麗な景色を見たり、おいしいものを食べたり。
むしろ旅行が嫌いな人なんて…………
いた。
私だった。
とにかく私は宿泊を伴うおでかけや行事が大の苦手だった。
車で10分ほどの祖父母の家には毎週のように泊まりに行っていたし、兄と二人だけで泊まったこともあったはずで、それはまったく苦ではなかった。
けれどそれ以外の場所(民宿や旅館)に泊まるのは例え家族とでも嫌だった。
特に嫌だったのはお泊まり保育に林間学校、修学旅行だ。
お泊まり保育の時など、不安すぎて強迫性障害にも心因性頻尿にもなった。
大人の目から見れば心因性頻尿の理由などすぐに検討がつくだろうに、幼稚園の先生は
「そんなにまめにトイレに行きたくなるなんて病気なんじゃないの!?」
と言ってのけた。
子ども心に、そんなこと言ったってなぁ……と思ったのを覚えている。
お泊まり保育が終わるとすぐに症状はなくなった。
親は未だにこの頃の事をネタにする。やめてほしい。
小学校になると宿泊学習の半年くらい前から気を揉み、なんだか願掛けのような行動をとったりもしていた。
なにがそんなに嫌だったのか。
一言で言うなら、宿泊学習の醍醐味ともいえる
「学校では見ることのできない姿」
を見られるのがとてつもなく嫌だったのだ。
別になにか見られたら後ろめたい姿があったわけではない。
ご飯は好き嫌いなく食べられるし、なにか特別な毛布とかがないと眠れない、とか同年代の子どもたちに知られたら恥ずかしい理由があったわけでもない。
それでも、みんなと一緒にお風呂に入って、ご飯を食べて、布団で寝る。
普段の日常が行事によって非日常になるのがとてつもなく嫌だった。
多分先生に言えばそれなりに気を配ってくれたのだと思うが、それはそれで嫌だった。
特別扱い的なことも心のそこから苦手だった。
「恐縮」という言葉を知ったとき、こんなにも自分の気持ちを現せる言葉があるなんて、と感動した。
どんなに嫌でも宿泊学習には全部参加した。
行かなきゃいけないものだと思っていたし、行かなきゃ行かないでそれは「特別扱い」の子になるからだ。
そんな思いは中学2年くらいでやっと消滅しはじめた。
大学生になると、子どもとキャンプに行くボランティアにはまり、夏の間はほとんど家にいなくなった。
けれどもあの頃の思いは覚えているし、自分からキャンプに来たいと申し出てキャンプにくる子どもの事を心から尊敬する。
旅行が好きなんだねと言われる度に、どうやって克服したのかも分からないこの苦手について、いつも考える。
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