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はじめましての、お粥さん

初めまして。

私は遠くはない過去に、摂食障害を患いました。
今はもう、ほとんどの食べ物をほぼ残さず、美味しく頂くことができます。

摂食障害を乗り越えてからと言うもの、食べ物の素晴らしさに気付き、以前より大いに美味しくいただけるようになりました。

今日から少しずつ、私の食事への感動を無手勝流に綴って行こうと思います。


初めての投稿で暗い話をするのは不本意ですが、やはり、摂食障害と診断され、治療を続けたうちに初めて味を感じたものを記録することとします。

拒食の最大期、私の身体はポカリスエットのみで出来ていました。ほとんど軟体動物と言っても過言ではなかった私の身体が久々に摂取した固形物、それは、お粥でした。

私は学生として一人暮らしをしている身でしたので、レトルトのお粥だったのですが。
摂食障害は心疾患が原因であることが多く、私はしばらくチョコレート以外の食べ物の味を感じることができませんでした。

しかし、治療が進むにつれ、ある時ふと味覚を取り戻したのです。
まさに、感動でした。

温めただけのただのレトルトお粥が、生まれて初めて至極の上質な米を食んだ時のように美味であったことを覚えています。
お米ってこんなに優しくて、甘いんだと驚きました。まさしく、傷や疲れを一心に受け止める柔らかな布団のような甘さでした。

お粥の美しいまでの甘さを堪能しきったあと、友人から差し入れされたリンゴジュースを口に含み、さらに感動いたしました。

私は、穀物の甘さと果実の甘さがこれほどまでに違うということを知らなかったのです。この発見は、これから食事を楽しむ際の味の差異を測る上で大きな指針となりました。本当に驚きました。
そして、「友人から貰った」ことに起因する甘みにも気付けました。これは大切な気付きです。

人の身体は、人の食べた物から成ります。そして、その食べ物は確かに人の手で作られるのです。つまり、私たちの身体は、誰かの手によって作られているのです。


食べ物とのつながりは人とのつながり。
私の身体は今日も、愛すべき人たちの手で作られる、愛しい食べ物でできてゆくのです。

ごちそうさまでした。

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