ゲリジム山とエバル山
この二つの山を巡って、マソラ学者とサマリア教団の見解がまっぷたつに割れています。
サマリア人がシェケムにあるゲリジム山を崇拝の場所としているのは、ヨハネ福音書の中にも出てくるとおりなのですが、この部分が論争点なのです。
実際に問題となる聖句を引っ張ってきて見てみましょう。
(すみません。私は元エホバの証人なので、引用は新世界訳からです。)
モーセに与えられた指示には「ゲリジム山には祝福を,エバル山には呪い」
というものがありました。
(ゲリジム山は肥沃で美しく、エバル山は岩でゴツゴツしているそうです。)
さらに、この二つの山に関して次の指示がなされます。
律法の石をエバル山に置くという指示です。
さらに……
エバル山に祭壇を置くという指示です。この指示はヨシュアによって実行されたとされています。(ヨシュア記8章30~)
ここはとても重要な場所として意図されており、律法の書かれた石が置かれ
犠牲も捧げられる場所でした。「歓び楽しむ」とまで書かれています。
この指示にあるエバル山というところが、『サマリア五書』ではゲリジム山となっています。それで、サマリア人は勝手にこの部分を変えたのだと言われています。『サマリア五書』では「ゲリジム山に祭壇を築く」という指示は『マソラ写本』とは違い十戒の最後にも挿入されています。
しかし、重要な祭壇が、呪いを述べる目的のエバル山に本当に置かれたのでしょうか? それに、サマリア人が勝手にエバル山をゲリジム山に書き換えることに、どんな好都合があったのでしょうか? サマリア関連のことを調べてると、興味深いことが見えてきます。
この話、続きます。