まめちど

雑学レベルで聖書を勉強しています。元エホバの証人ですが、ものみの塔の一部の教理は信じています。自由神学っていいよね&三位一体否定派。なので、正統派からもエホバの証人からも異端です。

まめちど

雑学レベルで聖書を勉強しています。元エホバの証人ですが、ものみの塔の一部の教理は信じています。自由神学っていいよね&三位一体否定派。なので、正統派からもエホバの証人からも異端です。

マガジン

  • アブラハムが犠牲を献げた場所はどこなのか?

    マソラ写本とサマリア五書で根本的に違う部分。 調べたら面白かったのでまとめてみた。

最近の記事

サマリア五書の特徴

「The Other Torah」という、イスラエル系のメディアの記事から、かいつまんで、ポイントとなるところを紹介します。 (サイトのトップ画像は仮小屋の祭りを祝うサマリア人ですが、かなり神々しいです。) *** マソラ本文とサマリア五書には、約6000箇所の相違がありますが、そのうち半分は大きな違いではありません。サマリア五書の記録は、聖書の各場面を、よりスムーズに読んでいくための助けになる場合があります。 創世記4章8節のカインによるアベルの殺害の部分 マソラ本

    • アブラハムが登った山は…?

      アブラハムがモリヤ山に行っていないならば、エバル山とゲリジム山のどちらに行ったのだろう? 私は「ゲリジム山とモリヤ山」の中で挙げた理由+αでゲリジム山ではないかなと想像しています。 ■シェケムまでの道のり アブラハムがシェケム(モレ)に向かう行程を考えてみましょう。 シェケムへ行くには地中海側を行く道と、ベテルを経由する山間の道があるのですが、アブラハムもヤコブも、いつもベテルを経由して移動しているので、このときもそうしたと考えられます。そうすると、先に見えてくるのはゲ

      • ゲリジム山とモリヤ山

        ゲリジム山とエバル山以外にも、サマリア人はモリヤ山とも対立しています。つまり、崇拝の中心としてエルサレムの神殿を認めているか、いないかという問題です。 現在でもサマリア人は、ゲリジム山に集まって崇拝を行っていますが、それはネヘミヤの時代(前5世紀頃)、モリヤ山に再建された第二神殿の向こうを張って、サマリア人がゲリジム山に神殿を建てたことに由来するとされています。しかし、もう少し掘り下げて調べると面白いことが見えてきました。 サマリア人は、ゲリジム山での崇拝はアブラハム(そ

        • ゲリジム山とエバル山

          この二つの山を巡って、マソラ学者とサマリア教団の見解がまっぷたつに割れています。 サマリア人がシェケムにあるゲリジム山を崇拝の場所としているのは、ヨハネ福音書の中にも出てくるとおりなのですが、この部分が論争点なのです。 実際に問題となる聖句を引っ張ってきて見てみましょう。 (すみません。私は元エホバの証人なので、引用は新世界訳からです。) モーセに与えられた指示には「ゲリジム山には祝福を,エバル山には呪い」 というものがありました。 (ゲリジム山は肥沃で美しく、エバル山

        マガジン

        • アブラハムが犠牲を献げた場所はどこなのか?
          4本

        記事

          マソラ写本とサマリア五書

          ヘブライ語聖書(旧約聖書)の写本については、ユダヤ教のマソラ学者の作った『マソラ写本』が信頼され、『ビブリアヘブライカ』として多くの聖書の底本に利用されてきました。 マソラ学者たちは優れた写本製作技術を持っていました。ヘブライ語によって記され、かつ、欠けなくそろっている最古の写本は、彼らの製作した『レニングラード写本』(11世紀)として知られています※1。 また、『マソラ写本』の最古の断片は、2世紀までさかのぼることができます。これはヘブライ語聖書の正典が決定されたとされ

          マソラ写本とサマリア五書