ゲリジム山とモリヤ山
ゲリジム山とエバル山以外にも、サマリア人はモリヤ山とも対立しています。つまり、崇拝の中心としてエルサレムの神殿を認めているか、いないかという問題です。
現在でもサマリア人は、ゲリジム山に集まって崇拝を行っていますが、それはネヘミヤの時代(前5世紀頃)、モリヤ山に再建された第二神殿の向こうを張って、サマリア人がゲリジム山に神殿を建てたことに由来するとされています。しかし、もう少し掘り下げて調べると面白いことが見えてきました。
サマリア人は、ゲリジム山での崇拝はアブラハム(それにヤコブ)にルーツがあると主張しています。「アブラハムがイサクを犠牲にしようとしたのは、モリヤ山ではなく、ゲリジム山である」ということなのです。
Wikipediaにあるモリヤ山の項目の最後には、サマリア五書では「モリヤの地」を「シェケムの場、モレの樫の木」と結び合わせており、登った山をゲリジム山としているということが紹介されています。
どちらが正しいのでしょうか?
アブラハムがイサクを犠牲にしろと指示された時の記録を「いつ・どこで・だれがゲーム」式に書き出して考えてみましょう。
・ベエル・シェバからモリヤの地へ
・アブラハム・イサク・従者2人の4人で
・薪と屠殺用の刃物だけ持ち
・ロバに乗り(一頭だけか?)
・朝早く出かけ
・3日目にその場所が遠くから見えるようになった
ということです。
ここから考えてみると、意外な事実が浮かび上がってきました。
■距離について
ベエル・シェバからモリヤ(エルサレム)までは、徒歩で歩き続けた場合20時間ほどでつきますが、遠くから眺めてモリヤ山は見ることができません。
ベエル・シェバからモレ(シェケム)までは、徒歩で歩き続けた場合は33時間ほどでつき、遠くからも確認できるような山があります。
(所要時間はGoogleマップの交通案内で調べました。)
夜道は行かなかっただろうことを考えても、エルサレムは近すぎます。
昔の人は、今の人たちよりも徒歩で行くことになれてもいただろうし、しかも老人アブラハムはロバに乗ったようです。33時間ほどかかるシェケムのほうが現実味がある気がします。
■地名について
アブラハムは神から「モリヤ山に行け」と言われたのではなく、「モリヤの地に行け」と言われています。
そして「モレ」と「モリヤ」では
moreh → מורה
moriah → מוריה
このように1文字しか変わりません。
■由緒について
キリストとその祝福を表しているというのはヘブライ書での言及にもあるとおりなのですが、エルサレムについては「サレムの王」が若干関わっていると言えるだけです。
しかし、シェケムのモレの大木林の場合、アブラハムはそこで「あなたの胤にこの地を与える」という、神からの大切な約束をいただいていますし、そこで祭壇を築き、神に犠牲をささげてもいます。
シェケムはヤコブも住み、ヨセフの墓もある、肥沃でよい土地です。約束の地の南北を「ベエル・シェバからダン」とすると、シェケムはちょうど中央にくるそうです。
こういった事実からも、私はモレ説は強いのではないかと思っています。
胤=イサク、地=約束の地であれば、アブラハムにとって神の宣言をいただいたモレの地、シェケムに向かうのが妥当であるとも単純に考えられます。
では、アブラハムはモリヤ山に行っていないのであれば、モレの地にあるエバル山とゲリジム山、どちらに行ったのだろう?
この話、続きます。