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アブラハムが登った山は…?
アブラハムがモリヤ山に行っていないならば、エバル山とゲリジム山のどちらに行ったのだろう?
私は「ゲリジム山とモリヤ山」の中で挙げた理由+αでゲリジム山ではないかなと想像しています。
■シェケムまでの道のり
アブラハムがシェケム(モレ)に向かう行程を考えてみましょう。
シェケムへ行くには地中海側を行く道と、ベテルを経由する山間の道があるのですが、アブラハムもヤコブも、いつもベテルを経由して移動しているので、このときもそうしたと考えられます。そうすると、先に見えてくるのはゲリジム山です。
サマリア人(北側)の伝承はかなり理屈が通っていて、信頼性が高いと考えられます。やはりアブラハムはエバル山ではなくゲリジム山に行ったのではないかしら?
■ シェケムについて聖書から見てみる
以下の聖句からシェケムについての情報を得てみましょう。
ヨシュア記24:25-26「そこでヨシュアはその日に民と契約を結び,彼らのためにシェケムにおいて規定と司法上の定めとを制定した。次いでヨシュアはそれらの言葉を神の律法の書に記し,大きな石を取って,エホバの聖なる所のそばにある巨木の下の所にそれを立てた。」
大きな石を取って立てたのは、新しく加えられた規定を、約束の地に入ったあとにエバル山、もしくはゲリジム山に立てた律法の書かれている石(申命記27:4〜8)と並べて明示するためと思われます。ここに出てくる「巨木」の参照聖句である創世記12:6-7と35:4は、それが「モレの大木林」であることを示しています。
創世記12:6-7「そしてアブラムはその地をずっと進んでシェケムの所,モレの大木林の近くにまで来た。その当時カナン人がその地にいた。7 ときにエホバはアブラムに現われて,こう言われた。「あなたの胤にわたしはこの地を与えよう」。そののち彼は,自分に現われたエホバのためにそこに祭壇を築いた。
創世記35:4「それで彼らは自分たちの手にあった異国の神々すべてを,またその耳にあった耳輪をヤコブに渡し,ヤコブはそれをシェケムのすぐ近くにあった大木の下に隠した。」
モレの大木林、そこはアブラハムが天幕を張っていた場所であるし、ヤコブがシェケムから去る際に、物品を埋めた場所でもありました。
そして、このモレの大木林とゲリジム山の距離を推し測れる聖句があります。
裁き人9:6-7「その後すぐシェケムの土地所有者すべてとミロの全家は共に集まり,行って,アビメレクが王として統治するようにした。それは大木,すなわちシェケムの柱のすぐ近くでのことであった。人々がそのことを伝えると,ヨタムはすぐさま行ってゲリジム山の頂に立ち,声を上げて呼ばわり,人々にこう言った。「シェケムの土地所有者たち,わたし[の言うところ]を聴け。そして,神もあなた方[の言うところ]を聴かれるように。」
ゲリジム山の頂から一人の男性が叫んだ声が届く範囲はどれほどでしょうか? その声が届く範囲にモレの大木林はあったのです。そして、そのそばに「エホバの聖なる所」も。
新世界訳聖書の創世記12章6節のシェケムについての註によると「現今のナブルス,特にその近くのテル・バラータと関連づけられている。」と書かれています。シェケムは現在のテル・バラータ※にあったとされ、そこはエバル山ではなく、ゲリジム山の前に広がっている街です。文脈的にもモレの大木林がそこにあったと考えておかしくはないでしょう。
※テル・エル・バラータが正確なようです。意味は「樫の木の廃墟」。モレの大木は樫の木だと記録されています。また、サマリア五書の申命記11章30節によれば、モレの大木林はシェケムの前にあると書かれているそうです。
律法を守ることでイスラエル(アブラハムの胤)は約束の地で生きることができました。その象徴として祝福の山であるゲリジム山に律法の書かれた石がおかれたとしても、それはおかしくはないかもしれません。
(でも、パウロによれば律法は呪いですから、呪いの山、エバル山がふさわしいのかもしれない。)
そして、アブラハムへの試みがゲリジム山であり、そこにイスラエルが再び祭壇を築いたとしても、それは物語的には美しい流れのように思えます。
もしかしたら、サマリア人が主張するように、ゲリジム山での崇拝は、アブラハムやモーセに与えられた指示にまでさかのぼれる可能性があるのかもしれません。
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とりあえず、これでサマリア人と山のお話は終わりです。(´・ω・`)