広報の助っ人「豆本」②〜2人の高校生が豆本すべての始まり〜
タウンマネージャー(当時は経産省事業)として、山口県周南市に着任したのは2019(平成31・令和元)年4月。私の職場は徳山商工会議所でした。
初めての山口県での仕事にワクワクしながら、ゴールデンウイークが明けた5月初旬、実に〝幸運な出会い〟がありました。
その場所は地元の山口県立徳山商工高等学校。
周南市役所を通して、同校でまちづくりについて語る機会を得ました。まだ初々しい1年生2クラスを相手に、「山口県周南市のよかところ(九州弁)を私に教えてください」をテーマに据え、60分一本勝負を2回連続で行いました。
「周南には何もない」と口にする生徒もいる中で、グループワークの手法を使い、意見出しを促すと、グルメや名所がいくつも出てきました。「周南コンビナート」の工場夜景を推す声もあり、「よしよし」と内心思いながら、生徒の発表を聞いていました。
授業の最後に、私はこう言いました。
「一緒にまちづくりをしてみない?」
後日、同校の担当教員より「まちづくりに興味ある生徒が2人いるのですが、どうしましょうか」との連絡をいただき、うれしがるより前に、まあ驚きました。
早々に、徳山商工高校の2人に会いに行きました。「街のために何か行動をしたい」という1年生2人の思いに触れました。
さらに、われわれの取り組みに興味を持った3年生3人も加わり、チームとして行動を起こすことができるようになりました。
わが子を含め今時の若者たちとの意思疎通に悩む40代、50代の管理職も多いと思います。
豆本の連絡手段はLINEグループを選び、同校の20代先生にも入ってもらいました。
豆本発刊に向け、具体的な行動を開始しました。
2019年の夏、徳山駅前で開催されたマルシェに皆で参加しました。地元で有名な焼き菓子と、私の母がその日の朝に長崎で焼いたパンを出品しました。どちらも委託販売で、完売しないと、赤字が出るプレッシャーの中で、皆よく動いてくれました。店頭販売を経験する中で、各人の性格や特徴もよく分かりました。
グルメ豆本など紙広報媒体の制作で大事なことは取材の前の仕込みにあります。それは過去職(雑誌九州のムラへ行こう)で十分に理解していたので、焦らず、一歩ずつ進めていきました。
誌面に何を載せるかなど、編集方針は私が所属するまちづくり定例会議(通称マチエキ会議)に提示し、各界のキーパーソンの皆様から、示唆に富むご意見をいただきました。
①手のひらサイズの持ち運びやすさ
②無料配布ではなく売価をつけて書店販売
③ターゲットは出張者
④美味いオススメ飲食店のみを厳選掲載
⑤制作費集めにクラウドファンディングを活用
編集骨子の方向性を確認しつつ、取材前の仕込みを進めていきました。
2019年9月。私も自ら動きました。「わが街のお客様は出張者」とのコラムを日本経済新聞に寄稿し、採用されました。今振り返ると、自分を奮い立たせる意味合いが強かったのかもしれません。全国紙に載ると、さすがに、やらざるを得ないですよね。
2019年12月。徳山商工高校の〝同僚記者〟と共に、徳山駅と中心商店街で「美味い駅前グルメの市民アンケート150人」を行いました。この様子は読売新聞に取り上げてもらいました。
自分たちで強引に決めるのではなく、周南市民の声を参考に徳山駅前グルメのランチ、夕食、スイーツの3部門のベスト5を決定しました。
2020年に入り、私も初のクラウドファンディングに挑戦しました。
豆本の場合、A6判の小さな冊子ですが、ISDNコードがついた本物の雑誌であり、広告を載せるかどうか毎号、方針が異なります。
創刊号の「徳山駅旅グルメ豆本」は2020年4月に発刊しました。編集長は私、発行は山口県周南市中心市街地活性化協議会(事務局・徳山商工会議所)。
見る方が見たら、きっと、驚かれると思いますが、JR西日本や大手ビールメーカーの広告も載っています。徳山商工会議所の役員の皆様に力添えいただきました。
折しも、コロナ禍での創刊となりましたが、「徳山駅旅グルメ豆本」は売れに売れました。コロナで出張者が移動自粛を迫られる中、豆本を購入してくれたのは地元市民の皆様でした。地元書店から徳山商工会議所に追加注文が相次ぎました。
最終ページ(奥付け)を添付します。
編集長にとって、最後の最後に〝筆〟を入れるページです。
広告クライアント一覧や執筆者の編集後記は毎号、心に残ります。
高校生たちの思いが豆本という目に見える形として結実した瞬間でもありました。
私の豆本誕生のお話でした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。