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自分が亡くなる数年前に書いたエッセイ
九州ゆかりの作家のエッセイを読んでいる。故人。九州の小藩や市井の武士の生きざまにスポットを当てる、硬派で力強い、九州男児らしい歴史小説とは違い、「還暦すぎた」というネガティブなフレーズが何回も出てきたりして、晩年孤独だったのかななどと思いながら、やわらかな文章、文体を楽しんでいる。
9月で80歳になる父がこの作家の小説をポンとくれる。信奉者だ。
ネットで調べると、遅咲き。
大家の職歴が若輩な私も少しダブるので、やはり、興味が湧く。
自分の寿命は今の医学でも推し量ることはなかなかできぬ。
何百万円もする人工血管、人工弁のおかげでいま生きれる私も果たして何歳まで生きるのか。
エッセイはこんな感じ。
わが家の息子2人を見ていると、次の代に命がつながるありがたさはあるが、「自分はあと何年」と自問してしまう。
愛車のタイヤ交換の間、近くの全国チェーン珈琲店に来て、600円のモーニングを食べた。
美味い。はちみつが甘い。
はちみつ会社の広報サポートをしているだけに、ついつい気になる。
ほぼ8割が女性客。
男はどこいった?
2人客は小声でよく喋る。
隣りのご夫婦の夫はよくしゃべる人だ。
「きっと娘さんのお父さんやな」
思わずニヤリ。
老眼も入った今、薄明かりの店内では、エッセイの字がぼやけて、なかなか進まない。