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野球が上手かった2人の弟と長男の私との差
上の写真は下の弟がカメラマン兼長崎市議会議員で、父母が住む長崎市外海地区の年中行事をよく撮ってくれます。もちろん、ボランティアです。親孝行の偉いやつです。
長崎市北部の滑石(なめし)団地で育ったわれら男三兄弟はよくありがちな、父が野球好きで、皆、北陽小学校から横尾中学校、高校までソフトボール、軟式野球、硬式野球をしました。
カーブを打てなかった私と違って、2人の弟は地元長崎でその名を知られた好選手でした。
私と弟2人との差を、大人になってよく分かる出来事がありました。技術の差は当然ですが、野球脳というか、その精神構造なんです。
二十代のとき、2人はわが草野球チーム(チーム名はチョモランマ)の助っ人によく来てくれました。投手も捕手も野手もどこでもできるので、今でいうユーティリティープレーヤーです。
2人の人柄、生きざまが分かるエピソードを紹介します。
🏟️下の弟(長崎南山高OB)
7回裏1ー3でチョモランマは負けていました。軟式野球なので、最終回の後攻。一死満塁ぐらいの好機に打席に向かう弟は「俺がヒーローになってやる」。
普通は重圧を感じる場面だ。
打席に立つと、右打ちなのに、なぜか左打席に。「何やってるんだ。ふざけとる」と味方の先輩たちがみな思う中、
弟は読売巨人軍の中心打者、高橋由伸の打ち方を真似ているのです。バットを左肩の上辺りで、上下に動かし始めました。
結果、弟は二塁打を放ち、サヨナラ勝ちを決めました。
私「なんだ、こいつは」。
⚾️一番下の弟(長崎北高OB)
ある試合の終盤、リリーフ登板を任せられた弟は楽しげに球を投げ、まずまずの速さなのですが、高めに浮き、ストライクが入りません。
三者連続四球。
守る先輩たちは私を含め、
「勘弁してくれよ」。
しらけムードさえ漂っていました。
そんなとき、
弟はくるりと体を後ろに向け、
「しまっていくぞ‼️」
と発しました。
野手はほぼ全員、
「おまえがしまれよ‼️」。
私は笑うしかありませんでした。試合はきっと、負けたと思います。
こりゃ、勝てぬ。
そうあらためて思いました。
弟たちのタフさは大人になると、さらに発揮され、2人ともお互いにおもしろい仕事をしています。
下の弟が長崎市の仲間と共に制作した〝ちゃんぽん本〟を久しぶり見て、なぜか、弟2人との野球ネタを思い出しました。
このnoteは父母に読ませよう。
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2007年発刊
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