たいらベーカリー物語(1)「希少果樹 ゆうこう」
これが我が家の「ゆうこう」パンです。
果樹のかおり漂うパンです。
25年前の1999年。
長崎県長崎市北部の滑石(なめし)団地より、同県西彼杵郡外海(そとめ)町(当時•合併前)に移住した父母が「果樹ゆうこう」に着目したのはやはり、よそ者だったから、だと思います。
当時55歳の父と54歳の母。
まだ若く、息子3人は巣立ち、移住先での第二の人生を楽しみにしていました。
移住して間もなく、庭木の「ゆうこう」を知りました。
「味にカボスや柚子ほどのインパクトがない」(父)らしく、商業的にはずっと未利用だったそうです。使う機会は家庭で酢の物ぐらい。
まず手始めに、父母は「ゆうこう」を収穫できない外海町内の高齢者のために、ボランティアで収穫代行をしました。長男の私も同行したことがあります。
今はすっかりメジャーになった「ゆうこう」ですが、当時は地味な存在でした。
おもしろいですよね。
プロ野球でソフトバンクホークスの育成選手が一軍スター選手になるような感じです。
我が家では庭で自家採取をしています。「ゆうこう」の皮と果汁をパンやシフォンケーキ、クッキーなどに使っています。
今シーズンの収穫は終了。
「今年はお父さんがゆうこうをたくさん売ってしまったから、私が使う分が少ない」と母。
なるほど、出荷もしているのか。
まあ、いずれにしても、
先駆者の父母を尊敬します。
よいネタを思いついたときに、たいらベーカリー物語を書いていきます。
▪️参考 長崎市役所ホームページ
※写真にある「ゆうこうパン」はたいらベーカリー謹製ですね