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猫が死んだ。冷蔵庫にはマグロが残った。


つながりがある誰かの死は本当にやるせない。

これを書いている今も心が痛くて涙が止まらない。


2020.8/22。夜。あるいは夕方だったのか。月並みな言い方だが「本当に突然のこと」だった。強烈すぎて他に言いようのない体験だから、きっと誰もがそう言うのだし、この世に数少ない絶対解なのだと思う。

朝はグラレコ講座に猫と一緒に参加した。「今日の気分をせんで表現してください」というお題にうねる水面のようなせんをマーカーで書いたら、それに必死にパンチを繰り返す姿に笑った。そのせんにギザギザの線を加えたらとたんに興味をなくしたので、また笑った。そういう変なところがあった。

シップをはがしたシートと、ビニール袋の結ぶ部分と、輪ゴムは必ず食べるし、それがおしりから顔を出してびっくりして引っ張ったら、バチっとなってお互いにびっくりしたり、夢中になってコーヒーを飲んだり、お風呂の残り湯が好きだったりして本当に不思議なコだった。

彼女は10年前に関西のブリーダーから引き取った猫だった。いい加減な仮名と、耳の不自由。人間の片手サイズの狭いオリで暮らし、たぶん2歳まで育った。エサの好みも、本来そこで発行されるはずの血統書も曖昧にされた、ペット商売での売れ残りの粗末な扱いが目に見えて、わざわざ飛行機で迎えに行ったことと、初見から数年の、新しい人間と世界に対しておとどとした仕草をよく覚えている。

だけども10年も一緒に暮らすと、外出時は気が向けば玄関までお出迎えをしてくれるようになった。この日はお昼寝を優先したようなので、それもいい。と思いながらそっと玄関のドアを閉じた。僕の勉強を興味深げに観察するも、睡魔に勝てずに寝てしまった平和な寝顔が、生前にみた最後の顔になった。

アート批評のレッスンに参加して、帰りは高輪ゲートウェイで、レッスン仲間の手がけたアート作品を見ながら食事とおいしいお茶で感動。楽しい1日だったので、僕の外での楽しみをおすそ分けしようと思い、猫の大好物のマグロの刺身を買って帰った。

20:30ごろ家に帰り玄関のドアを開ける。いつもなら駆け寄ってきて絶叫するように「おかえり」のあいさつをするので、僕は慌ててドアを閉め「ただいま」を言う。荷物を置いたら10分ぐらいもふもふしてお互い満足する。そうすると、彼女は思い出したように毛づくろいを始めるのでそれを眺める。ここまでが、お帰りルーティンだ。

猫が絶叫するのは耳が聞こえず、おそらく彼女にとって音量という概念がないからで、めったに鳴かなかったが「おはよう」「おやすみ」「おしり触るな」「数分後に吐きます」のときは必ず鳴くという、変なこだわりがあった。このやりとりを「耳が聞こえないのに声で会話してるなんて、変」と若くして死んだ友人に言われたことがあって、その時はじめて気付き、顔を見合わせて笑いあったことがあった。

いつもと違う時間に帰宅するときは特にそうなのだが、彼女が熟睡していて気付かないときもままあったので、そういう時はスマホで動画をとりながら近づいて、慌てふためきながら起きる猫を楽しむという、誰に見せるわけでもない寝起きドッキリごっこが最近の僕のお気に入りだった。

この日もそうだと思った。「我々はなぜ認識エラー、システムエラーにつながるノイズに惹かれるか」というweb講義を聴きながら、起こさないように暗い部屋の中、動画を撮りながら近づく。ひんやりするからだろうか、最近お気に入りの机の上で寝ていたから、前足の先をちょこっと触る。起きない。反対の前足も触る。起きない。まあこういう事もあるかと思い背中をなでる。割と神経質なコなので過剰にびっくりするのが恒例で、その滑稽さを見るのが好きだ。が、起きない。仕方ないので、さすがに明かりをつけたら起きるかと思い、部屋を明るくしたところで目に入ったのは、瞳孔が開ききって舌をたらし、脱力した姿だった。

2.3度、一緒に寝ていた時にこうなっていたことを思いだした。3年に一度くらいの「それ」がやってくると、激しく震えて目を見開く。普通、日中の瞳孔は細長の、所謂ネコ目だが、明るい部屋でも瞳孔は全開になって物質ではない何かを見る装置になる。こちらの理解が及ばないまま戸惑っているうちに「それ」は終わる。そして何事もなかったように、「んがん」と言う。ほんの数分の出来事。極まれなことだったし、深く気に留めていなかった。所謂てんかんなのだろうと。

今回は長い「それ」の最中だと思った。前回みた時に思った「そばにいるのに、こちらをみているのに、そばにいないし、こちらをみていない、宇宙とつながっているのではないか」という佇まい。それは思考の旅行のようなもので、終われば戻ってきていつもの毛づくろいを始めるのがお約束。が、今回は少し違うようにも見えたので、その違いを優しく触って確かめた。前足、後ろ足、しっぽ、お腹、背中、おしり、耳、鼻、舌。愛しい体のその表面に戻ってくる為のスイッチがないことがわかると、さすがに焦る。ここからははっきりと思い出せないが、思いつく手当たり次第のことをやったように思う。ゆすって、たたいて、名をよんで、「おきて」と声をかけて、叫んで、もちあげて、みつめて、あたためて、唯一きくことができたらしかったバードコールを鳴らして、心臓マッサージをして、ちゅーるを口に当てて。そして、その内側にも、戻ってくるための回路がもう動作していないことを知った。

自分の力ではどうにもならないことを思い知らされて、しばらく呆然と見つめていたが、落ち着いてきたあたりでその姿を丁寧にととのえたくなった。この期に及んでもうっとりするほど綺麗な体は、まだ暖かくて柔らかい。ふわふわで真っ白な毛を丁寧に拭いて、なでる。思えば、それだけで僕の心はどこまででも、どこまででも癒され続けてきた。それは今だって変わらず、「優しさや愛はこうやって存在しているんだね」と、無言で語る小さな体にふれて、悲しさ、驚き、愛しさ、嬉しさ、儚さ、いろんなものがないまぜになった何とも言い難い感情が一気に溢れてきて、それが僕の目からたくさんの涙を溢れさせた。

僕たちだけの宝物、トパーズとアクアマリンのようなオッドアイ。年を経るごとに深みが増した。緑味の黄色と、微かに赤味のある水色が、開ききった瞳孔の淵から少しだけ見えた。瞳孔は、どこまでも深くて、透き通って、きれいな角膜の奥で密やかに宇宙を語りながら、やはり物質ではない何かを見ていて、僕の及びつかない存在を証明していた。その美しさが乾ききって、物質にけがされてしまう前に、永遠に物質の見えないところに隠してしまうことにした。多くの神が目を閉じているのは、きっとそういう事なんだと思う。

安らかで眠るようになった顔にそぐわない垂れた舌を戻そうと思ったが、小さい口は頑なで、もう音声をだすことはないとでも言いたげだったので、あきらめて指で水分を補ってあげた。後の葬儀でわかることなのだが、この行為は「末期の水」というそうで、図らずも本能的にやったことが一つの儀式になっていたことに驚いた。生前、見る機会のあまりなかったピンクのかわいい舌。今となってはお菓子にして食べちゃいたいというのもわかる。きっとラング・ド・シャはそうやって生まれたんだろうと思う。「食べる」という行為が「想う」という感情によって、習慣や名前となって叡智がデザインされるのかもしれない。

そんなことを想っているうちに夜明けの兆しが訪れたので、僕が大好きなその瞬間を、あらためて一緒に堪能することにした。JRの駅の真上に位置する巨大な建築物。そのベランダから見える空は巨大な建築物に遮られて半々になっていて、2.3日もすれば洗濯物はチリまみれになる。それによって僕も、君も、おそらく深刻な身体異常を起こしていた。生前も何回か見せたことがあったが、あくまで事務的で排他的でありながら24時間他人の営みが途切れない、何とも言えない風景だ。ぐったりしながらも優しさの体現であるような、そのありさまを抱っこして、朝日が無情にも力強く日時を改めるのをゆっくりと体感した。少しづつ明るくなっていくなかで、きらきらと、どうしようもなく体毛が輝いて、ふわふわと風にそよいだ。安らかに眠るようでいて、舌を出し切ったユニークなその姿をみながらある種の哲学や何かについて、ふらふらと思考を巡らせていた。常々、人生を豊かにするのは芸術と哲学だと感じているのだが、それを最も実感した瞬間は今を置いて後にも先にもないのではないかと思う。

そして少し頭の運動をしたところで、休憩することにした。幸い、珍しく翌日に何の予定もなかったので、今までそうであったように、反面、今後決してそうできないであろう最後の添い寝をすこしだけ、2時間ほどした。恒例のふみふみによるほぐしはなかったが、そのささやかな重みだけで、どこまでも安らかな気持ちで寝れた。その短くも深すぎる睡眠は僕の生涯で一番の幸福な睡眠なのではないかと思う。

ふとももに手を当てると、そういえば、ベランダから落ちて大腿骨を骨折したことがあったっけ。と、思い出す。だらんとして動かない足。おそらくお互いに不安で大変だったし、いろいろ取り付けられてロボット猫みたいになっていた。でもそのせいで長く一緒に過ごしたし、二人三脚で歩いたから、そこから心の距離が近づいたように思う。試練は愛を育むんだね。

目覚めると、相変わらずの愛しい有様でやっぱり癒される。出しっぱなしの舌と、大きすぎるし、リンクスティップのチャーミングな耳は少し青くなっていて僕の次なる行動を促していたので、そのからだを、彼女がお気に入りだったモニタとキーボードの間においてようやくネット検索をしたのが早朝5時くらいだ。少しの後悔から思い当たる症状を検索したり、今さらながら、その対処法を熟読したりしているうちに、鼻からピンクの液体が少しづつ、やがてとめどなく、より赤く、何やらよくわからない濃度を増して流れ始めた。えずくほど強烈で、本来不快であるのに愛しくもある、所謂、腐敗臭を充満させて僕をせかす。いくら拭っても溢れ続けるそれは生命が流れ出ていることを体現していて、結局、葬儀の最中まで続いていた。冷却させれば遅延させることも可能なのだというが、僕たちの哲学の結果がこうなのだから全く後悔はなかった。記録的な猛暑と僕の無知と衝動で腐敗の進行が進んだであろう点は悪かったしよかったとしようか。

時間が無常にどんどん進行していく中で、今まで調べたこともなかったペットの葬儀をはじめて検索した。近所の由緒ありそうなお寺と、しながわ水族館のそばのNPOが運営しているペット霊園で迷ったが、NPOに決めた。答えのない思考をとめどなくすることは好きだが、条件内で最適解を導くことは苦手だ。僕ごときの知能で最適解を導くなんて到底不可能に思えるし、一旦出した解は、その時はベストに思えても本当に、いともたやすく、極々簡単に覆されてしまうからだ。それは優しさ、思慮深さ、とうらはらな、優柔不断とか決断力の不足という決定的な僕の欠陥のせいなのが明らかで、それがもどかしくてイライラした。

悩んだ挙句、別に、寺についてもNPOについても詳しくはないのだけど、最近、哲学宗教に入れ込んでいるので、マイブームみたいにこの出来事を消化して安易に寺が良し。とするのに抵抗があったし、NPOという存在はその実態がどうであれ営利団体より主体的な行動規範をもって成り立っていることに好感を持っているのでNPOに決めた。だが、はた迷惑な話かもしれないが折を見て寺にも行こうと思っている。さすがにやるせなさすぎるから。

迷いながらも良しとしたNPOの選択はおそらく間違っていなかったようで、言動の端々から本質的に動物好きであろう部分の垣間見える、学生ともみえるようなスタッフの方が親身に対応してくれた。実態はどうであろうと、般若心経をゆっくり味わう時間や、特別な思い入れもないのに、僕以外には臭くて汚くなったものである動物を優しく親身に扱ってくれるし、ある戒律をもってこのやるせなさを解釈してくれるのだからありがたい。何より鼻血を出しながら弔われる様は滑稽で可愛く、彼女らしく、僕たちらしく感じた。

そこでは樹木葬なる試みをしていて、コロナ渦で遅延しているものの、おそらく年内には宇都宮で遺骨が木になるというシンボリックな弔いが行われる予定だ。そこでは様々な生物が弔われるらしい。いろんな動物たちと会ってみてね。音声で会話できなくても大丈夫。僕達の幸せな日々を思い出してね。君には未踏の地だけど僕の名字の由来にもなっているなんとなく気になる良い場所だよ。死後の世界は全くの未知だけど、せっかくならこれからもっと特別な体験をしてもらいたいし、美しさそのものである君なんだから、木となって朽ちたら大地になって、地球になるし叡智になってほしい。そうしたら弱い僕をまた癒してね。君のかわいい小指に僕の髪の毛を結びつけてお別れしたのだから、怖くないし、寂しくはないよ。

長い間、たくさんの優しさと幸せをありがとう。君のおかげでここまでやってこれたよ。どうか安らかにお休み。

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