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老い

みんな等しく老いはやってくることは頭では分かっていても、なんとなく怖くなることがある。病気になる、痛い、親が死ぬ、兄弟が死ぬ、旦那が死ぬ、友達が死ぬ…。もしかしたら、私が最初かもしれないけど。

日本では老いるというのはそれ自体にマイナスイメージが付きがちで、若さこそ価値みたいな場面にたくさん出逢う。
ありのままが美しいみたいな御託を並べて平気で加工している写真を使う。

最近読んだ本(生き物の死にざま/稲垣栄洋さん著)に

もともと、細胞分裂を繰り返すだけの単細胞生物は「老いて死ぬ」ことはなかった。しかし単細胞生物が多細胞生物へと進化していく過程で、生命は「老いて死ぬ」という仕組みを作り出したのだ。
「老いて死ぬ」ことは、生物が望んでいることなのだ。

ということが書いてあって、目からウロコだった。

漠然とした恐怖があるけれど、これは生まれたときから持った能力であり、生まれたときから老いて死ぬことを望んでいるんだ。

そう思うと、自分も自然界の一部であって、その輪廻からは逃れられないということが、諦めではなく、納得してストンと腑に落ちた気がした。

もうひとつ、老いを「悪くないな」と思えた出来事があった。

年末に向けて、少しづつ今まで山積していたものの整理をしていたとき、手紙BOXに着手しようと思い立った。手紙BOXとは、私が今までもらった手紙や年賀状を保管してる、キョロちゃんのカンカンのことである。

数年に一度整理しようと思い立つのだけれど、やっぱり捨てられないものは何年たっても捨てられない。

幼馴染がくれた「出会って○年」と書かれた誕生日カード。
毎日会ってくだらない話をしていた友達が、節目節目にくれた手紙。
父親を亡くしたときにもらった励ましの手紙。
疎遠になった友達と再びつなげてくれた手紙。
昔好きだった人からもらった年賀状。

いろいろあったけど、私はまあまあうまく歳を重ねてこれたのかなぁと思えた。過去の手紙は今までの積み重ねを肯定してくれたような気がした。

時間の経過は実感しにくいから、つい今を見つめることだけに集中してしまうこともある。でも、こうして時々ふり返ると、老いによって厚くなるのは面の皮や皮下脂肪だけではないことに安堵する。

今日は手紙を書こう。あの人が、歳を取って私の手紙を見返したとき、あぁ私の人生も捨てたもんじゃないなと思ってもらえるように。

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