母の介護と旅立ち、そして向こうの世界とこちらの世界の架け橋③
【間違えられた病名】
前回、母の異変に気が付くことができなかったと書きました。
母がなんとなく体調がすぐれないからと、病院に行っていたことはもちろんわかっていたのですが、それでも変わらない日常があることに重大なことだとは考えていませんでした。
実際にその頃はまだそうでした。
体調も落ち着き、私も特に気にすることもあまりありませんでした。
だから、母のことはついつい父にまかせっきりになっていました。
それからどれくらい経ってからか、母は大きな病院を受診しました。
また体調に異変を感じていたようだったんです。
その病院で検査の結果、難病と言われている病名を告げられたのです。
それからはその難病の為に処方された幾種類かの薬を飲み始めました。
でも、薬を飲み始めてからもっと調子が悪くなってしまい、母は主治医の先生にそのことを話したようです。
でも、医師は薬のせいで具合が悪くなっているのではないと、母の言葉を否定しました。
母の体調は徐々に悪くなっているのに、医師は調子が悪いというのは母のわがままで、ちゃんと指示通り薬を飲んでいればいいという返答しかなかったそうです。
その後母の容態が一気に悪くなり、緊急入院することになりました。
その時、ひどい肺炎を起こしていたようでした。
詳しい状況は父が聞いていたと思います。
私は不安で恐ろしくて、何も聞くことができませんでした。
今でも鮮明に記憶に残っている光景・・・
真っ白な壁に囲まれた病室のベッドの母と、その周りに立つ医師と何人もの看護師さん達。
今から処置しますが、もし効かなければ・・・
そこで途絶えた言葉。
ベッドの上で父と私の方に顔を向けて、大丈夫だから、早く帰りなさい、と言った母の声。
誰もいない静まり返った薄暗い病院のロビーで、このまま永遠に母と会えなくなってしまうのではという恐ろしさで足が動かず、家に帰りたくない、ここに、少しでも母の近くにいたいと泣き続けていました。
そんな私に父が、人の生き死には潮の満ち引きや月の影響を受けるんだよ、だからお母さんは今夜は大丈夫だから、と話してくれました。
もっと細やかな説明だったと思いますが、とにかくそんなことを教えてくれたんです。
その時頭上で輝いていた月の形も、人の生死を司る月の形も、なぜその夜は大丈夫だったのかも、もう覚えていませんが、不思議とその話に心を落ち着かせることができたことは覚えています。
私は夜空を見上げて父が話してくれた人の命と自然のつながりを想い、ただただ祈ることしかできませんでした。
その夜は電話が鳴らないことを願いながら、眠れないまま朝を迎えていたと思います。
翌朝病院に向かうと、母の容態は薬が効いてくれたおかげで危険な状態から抜け出せたことがわかりました。
良かった、助かったんだ・・・と、心から安心しました。
その時は。
でもその安心は徐々に崩れていったんです。
そして、そこから・・・だったんです。
日々のいろんなことが大きく変化していったのは。
その後のこともゆっくりと辿っていきたいと思います。