見出し画像

利用価値なるもの

こんにちは。おさんぽです。
師走も半ばですね。note投稿も久しぶりです。

私が経験した実家の相続やら実母の介護もどき、については、
今後おもしろ体験記として、再構成したいと思っています。
ご承知の方もおられるでしょうけど、
過去noteで、私、毒吐き散らしていて、正直辛かった時もありました。
でも今は
母も私も、お陰様で、安心して暮らしております。
で、なんていうか、ここまでくるのに、
(スピ系ではない、つもりなんですがー)
不思議な縁みたいな、道案内を頂いたような
そんな気もするので、
ちょっと書いておこうと思います。

薬局にいた頃、12月後半は、最も忙しい時期でした。

そして子供たちが小さい頃は、なんだかんだイベントもあって、
家の掃除して、正月の準備もして、と 毎年てんてこ舞いでした。

大事なときに風邪で病院通いとなって、職場に断りを入れたり、
その頃はまだ、何を調べるにも アナログでしたから、
プランAからBに変更するってのも、あちこち電話したり、
なにしろ手間がかかって、ホントにくたびれたもんでした。

そのような時代を経て、
不便を解消する、
時間がかかる手間を省く、という
「問題解決」という名の「商品」が、
「利用価値」という概念の浸透、一般化で
私達の頭上に君臨して、もう既に久しいですね。

ただ、この利用価値という言葉、概念は、
ずっと以前の人類世界にはなかったのではないか、と思うのです。
目の前の現実に、一人の人間として、ただ必死に対応しているだけでは
行きつけない視点ではないか。

すこし目線を上げ、思考をめぐらせ、周りを見渡し、実行するという
発送の転換が必要。
一方で、
それは、とても効率的で惹きつけられるアイディアであった。

そして人間は
人間ではなく、計算機に
人間の行う、言語の理解や推論、議論
そこからの課題解決といった、脳の活動を
計算させることで、代用させる、という
更なる効率化も果たした。
Artificial Intelligence;  AI  人工知能と
生命科学、ロボット工学の進展は、
私達人間が 
いったい「何者であるのか」
「なぜ存在するのか」 について より深く考えさせてくれ、
宇宙や人間というものの、不思議さが、より増したように思う。

量子論については、
私は専門でもないし、素人が語ることはできないけれども、
現実が、ほぼ無限の可能性から、何かの理由で収束し、
現実化していく仕組み、そのイメージは
不思議すぎて、興味は尽きない。
今後、宇宙について、どんな知見がでてくるのか、
神秘の領域、夢の領域へ どんなアプローチをするのか、
楽しみすぎる。

人間は、あまたある地球上の生命のうちの、一つではあるけれども
決して
在ってもなくても同じ、存在などではなくて
寿命の長さは色々あれど、
一個一個が神秘的で、とても強い生命だということは心にとめておきたい。

私達が「利用価値」なるもんについて考えるとき、
人工的な道具や、自然、資源など
課題の解決に働いてくれる、モノの有用性、として思考するわけだが、
それは必ず、我々人間 とセットになって、
利益をもたらすから、儲けさせてくれるから、
価値があるという、思考の流れになる。
私達が、今、この地球上で生きていくためには、
何らかの経済活動をしなければならないことは 明らかで
利益について、利益をもたらす価値について、
考えることは何ら問題ないのだが、
人間の価値というものは、
利益を基準にしては決められないだろう。

お金に踊らされては いけないと
解っているようで、
なんかね、私もそうですが
心の土台はゆらゆらしがち、なんです。

生命という神秘について、
私達は、改めて 意識しなければ、と思うんです。

誰しもが、ある意味ありがたい存在なんですから
儲かるかどうかではなく、ご縁にありがとう、から始める。

歴史上、一定の周期で人間は攻撃し合ってきましたけど、
宇宙から見ると、どうにも馬鹿げているんじゃないか?

神秘に満ちた世界に生きている、
理由はわからないけれど、生かされているという
昔ながらの、教え、知恵の有用性、価値を利用したい。

その価値には
値段はつかない、タダです。
これが宗教、となると
すみません、なんか大きくなってしまって「利用価値」が
ついてしまうんですが、
ご縁に感謝する、ご縁の価値っていうものは、お互い様ですから
薄っぺらな利用価値とは結び付かないですよね。

寒い毎日、みなさまお体大事にお過ごしください。

ありがとうございました。