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生きる意味、目的とか

 noteでいろんな人の記事を読んでいて、生きる目的 について書いている記事をいくつか見かけました。
生きる目的… 私はずっと、最終的に死ぬなら目的なんてないよなぁと思いながら過ごしていました。
でも、中には○○が生業です みたいな感じで、生きる目的を見いだせている人もいるし、遠い感覚ではありません。
考えるほど入り組んでいってもやもやするので、一緒に考えていきましょう。

いきなりですが、私が考えた結論は
 人生に客観的な意味、目的はない
    主観的な意味、目的は作れる
                   です。

・まず、キーワードになる、意味 目的 結果 の前提を固めます。
私の中ではこういうイメージです。
 意味:期待される結果(より客観的)
 目的:期待される結果(より主観的)
確かに、意味と目的って近い言葉かも…?

意味と目的の差は、主観的か客観的か。
例えば、
 1.本を読む意味は、知識を増やすことです
 2.本を読む目的は、知識を増やすためです

1は学校の先生がクラス全体に言っていて
2は生徒(Aくん)が発表している雰囲気ですね
1は、クラス全員に共通するほど客観的で、
2は、クラス全員には共通しない主観的なこと。

そして、結果はその二つよりも客観的です。
 結果:最終的に出力された情報(客観)
例えば、
 Aくんは本を読んだ結果、知識が増えました

つまり、客観度は
 結果>意味>目的


・次に、結果 意味 目的 の構成要素について

結果は、主観的な要素を一切含みません
Aくんは昨日本を読んだ結果、知識を増やしたいです
はちょっとおかしいですね。

意味と目的は、ある程度の客観性と主観性を持っています。
二つの差は、
 意味は万人に共通するもの(より客観)
 目的は個人が見出した意味(より主観)
だとわかります。


・改めて、人生の結果 意味 目的はあるのでしょうか。

人生の結果は言うまでもなく、死ですね。

人生の意味、目的は、主観的な要素が入っているので、人によって変わります。
では、客観的な意味はあるのでしょうか。
結果を主観で見ると意味なので、意味を客観すると結果になります。
つまり、人生の客観的な意味=人生の結果=死 です。
なので、人生に客観的な意味は持てない(死ぬために生きている) といえます。



ただ、主観的(非論理的)な意味を見出すことは可能です。
だから、”生きる意味”とか”生業”を見いだせている人がいるわけですね。


ただ、自分の人生の意味はないんだ…ってなる必要は、もちろんありません。
私たちは行動の選択を、最終的には感情に基づいて行っています。だから、非理論的でも楽しい人生なら、それで”いい”っていうスタンスが一番自然だと思います。


この考え方を、日常に活用するとしたら..
ちょっとうまくいってなくて、考え込んでしまうようなときに生かせるかもしれません。
大体、悩んでいる時って、視野が狭まって、目の前の問題を過大評価して、焦ったり落ち込んだりします。
そういう時に、”まぁでも理論的な生きる意味なんてないから、別に本気になって解決しなくてもいいか。とりあえず心を養生しよう”みたいな、”引き”の考え方がしやすくなると思います。
行き詰ったときとか、どこかで役に立てると嬉しいです。


~~
ふぅ ~=_=~
どっちかというと、今は考えをまとめているようなイメージです。
だから、アイデアによる解決とか、目新しい刺激的な考え方 みたいなのが今の憧れです。
ただ、考えをまとめるだけの文章はだれにでも書けるので、自分の意見も最低限は入れるようにしています(一つ上の文章とか☝)。
その点、エッセイはその人にしか書けない文章だから魅力的ですよね。





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