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ブラック企業の商社マンになった夫


高校卒業後、
夫は音楽(音響)の道に進む為専門学校に進学した。

しかし、下積み時代の長い音楽の世界では
そう簡単に食べていく事ができないと現実を知り、専門学校を卒業後、
夫は、音響への道を諦め就職する事を選んだ。

恐らく、結婚願望の強い私の存在があったからだろう。

夫が就職したのは大手総合商社。


晴れて夫は商社マンとなった。
入社2年目に結婚し、そのあたりからどんどん激務になっていった。

終電で帰り、始発で出勤する事もしょっちゅう。

大阪から広島まで車で日帰りなんてことも頻繁にあった。

とにかく接待の多い会社だったが、人との距離の詰め方が上手な夫は営業成績も優秀だった。

しかし、どれだけ良い成績を残しても
「もっとできたはずだ」
「もっとやれ」
「お前の代わりはいくらでもいる」

今で言うパワハラ上司。
みせしめのように怒鳴られる事もあった。
毎日そんな日が続いていた。

夫が入社4年目、結婚から2年後に私は待望の第一子を妊娠した。
妊娠からしばらくして私は長年続けた事務の仕事をやめた。

その頃から夫の様子がおかしかった。

終電で帰ってきて
疲れているはずなのに全然寝ない。
ずっと何か考えている様子。

「仕事に行きたくない」と早朝泣く事があった。
「線路に飛び込んでしまいそうになる」
そんな事を言っていた事もあった。

今なら言える。

「今すぐに仕事辞めよう」と。

でも当時は言えなかった。

妊娠し、仕事を辞めたばかりの私は

「もうすぐ生まれるのに、そんな事言わないで」
「もうちょっと頑張って」
「辞めるなら次の仕事決まってからやめてよ」

慰めるどころか、
ちょっとイラっとさえしていた。
私もはじめての妊娠で不安定になっていたのだ。

会社にはパワハラ上司
家庭にはピリピリした妻。

当時の夫を思うと本当に申し訳なくなる。

そんな状況の中、娘が生まれた。

娘が生まれた事で、夫は少し前向きになり
辞めたいと言う事はなくなった。

相変わらず激務だったけど、家に帰れば可愛い娘がいる。
子どもの存在が何よりもパワーになっていたにちがいない。

しかし、それから数年、ついに夫に限界がきた。

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