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楽に生きる①生産性という言葉の呪い【脱成長とヨガの話】

NewsPicksパブリッシング編集長の井上慎平さんの成長から「降りる」って、できるのか。という記事を読んで、インドに行ってからずっと感じていたけど言語化できていない感情がかなり揺さぶらました。なんか、通じる部分があるなぁと感じたんですよねぇ。
てことで、今回はそのことについてまとめてみました!先に言いますが、まとまってません!!笑

インドで気づく、息苦しさの正体


ガンジス河でのんびり中

インドで1ヵ月生活している間、めちゃくちゃ息がしやすかった。
なんというか息苦しさがないのだ。
その理由は簡単。
全く生産的な生活をせず、毎日好きなことをしているからだ。

「役割をはずしに来ました。」
最初の自己紹介で私はインドに来た理由をこう表現した。
私は役割から逃げるようにインドまで来たらしい。
自分の事なのに”らしい”をつけるのは、自分でも自覚していなかったのだ。

「自分は非生産的な存在なのではないか」
「生産的なことをしないと夫に申し訳ない」
「せめて母親、主婦、娘という役割をきちんとこなさなければ。」
日本にいる間、何も生み出さない生活を送る自分を許せなかったからこそ、自分でいつも圧をかけ続けた。
結果、喉元が急に苦しくなる感覚に襲われるようになってしまった。

本音はすべてを投げ出し、異国で非生産的な日々を送りたかったのだ。

生産的かつ有効性をファストに求める時代


稲田豊史著 光文社新書

今から5年位前、頭のおかしい政治家が同性カップルに生産性がないといって世間をにぎわせた。これに対して多くの人たちが怒った。(当たり前だが)
しかし、ここで考えてみてほしい。
対自分や、対モノにはどうだろう。
「生産的」かつ「有効的」なものでないと価値がないと信じ込んではいないだろうか。
ファスト、という言葉をよく耳にするようになったのもこのことと関連しているように私は感じる。
「この映画は見る価値があるかどうか。」
「この曲は聞く価値があるかどうか。」
すぐに答えが欲しいのだ。
無駄なものに無駄な時間を割いている場合ではない。なぜならのんびりしていると自分の価値が下がるからだ

人間は何かを生産するために生きているわけではないとみんな分かっているはずなのに、生産的でなければいけないという呪いが付いて回る。

自分は社会に有効性があることを証明するために日々生活してないといけない、という強迫観念に近いものがあるのではないだろうか。

でも、何も生み出さない毎日が非生産的だなんて、だれが決めたのだろう??
結果はすぐにやってこないことを誰もが忘れた結果、ファストな文化がうまれてしまったのではないだろうか。

成長しないとダメ?

目標を立ててそれに向かって努力する。
自分の欠点をメタ的視点で観察し、克服する。
どちらも立派だし、ぜひやるべきだと思うだろう。
では、なぜやるべきだと思うのか教えてくださいと言われたらちゃんと説明できるだろうか。
「成長するために決まってるでしょう。」
やや面倒くさそうに答える人の顔が目に浮かぶ。
成長は悪いことではない。でも、その結果を急ぎすぎているように感じる。
「インドに行ってきたんだね、成果は感じてる?」
「インドでどんな成長をしたのか聞かせてよ!」
営業職の友人からよく投げかけられる言葉だ。

私は決まってこう返す。

「成果はないよ。」

相手はキョトンとした顔をした後、成果を得ずに1ヵ月も家を放り出した私を責めるか、成果を得るよう今から努力せよと諭すかのどちらだ。

わざわざインドまで行くというコストをかけたのであれば成長し、成果をあげるものだと思い込んでいる人からしてみれば、生産性と有効性を証明できない(しかも悪びれない)私は怒られたり諭されたり見下される対象になる。

成果をあげ、生産性を証明することだけが成長?。
なぜ帰ってすぐに感じる成果は本当の成果と言える??

脱成長の新概念。非生産的なことが成長につながる!?


インドでできるようになったマユラアーサナ

コロナ禍くらいから脱成長という言葉が広まったような気がする。
気候変動や格差の問題などが背景に、人とのつながりや環境との関係性を再構築しようという話だったと思う。(ちがってたらごめん)
私がいまからする脱成長の話はこの思想と違う。
社会の話ではなく個人の話をしたいと思う。

私のインドで体感したのは「成長と生産性(有効性でもよい)はイコールではない」という事だ。
むしろ、非生産的なことが成長につながるのではないか、と感じている。

インドではただひたすらにヨガをした。
朝5:30に起床。6:00にはヨガホールに行き自主練。7:00から鼻うがい。8:00から10:00までアーサナプラクティス(いわゆる体を動かすヨガ)
ブランチの後は2時間ナダヨガ(ひたすら同じフレーズのマントラを演奏しながら歌う)と、言ってみればかなり非生産的だ。
だって何も生み出していない。
毎日ヨガの練習をすると写真のようなヨガポーズもとれるようになる。
でも、奇抜なポーズが取れるようになったからといって世の中の役に立たない。非常に非生産的な成長だ。

結果、私は驚くほど生き生きとした毎日を送った。
すべてに結果を求めなくなったら
心が穏やかになれた。
何もしない自分を許せた。
自己肯定感が上がった。
すべてに感謝するようになった。
いいことづくめだ。
誰の役にも立ってないけど。

役に立つ、立たないはファストで結果はやってこない。
ネガティブケイパピリティなんてよく言われるけど、ここで感じた非生産的な日々はいつか別の経験と偶然重なり合い、芽が出るかもしれない。出ないかもしれない。むしろ出なくてもいい。

大切なのは生産性ありきの成長を目的にしないこと。
これこそが真の成長と言えるのではないだろうか。

インド宗教を見てほしい。
輪廻転生が当たり前の人たちなので、3回生まれ変わった後に結果が出ると思って行動しているらしい。ネガティブケイパピリティの規模が違いすぎる。

最後に

ちょっとうまくまとまらなかったけど、インドでは生産性の呪いが消えた。
そしたら毎日楽しくなった。
社会で生きていくには成長、生産性、有効性が付いて回る。
でも社会の概念と自分の概念を同一視してはいつか破綻するんじゃないかと考えている。
今、毎日楽しくない、何か足りないと思っている人は一回自分にかかった呪いを見直してみてほしい。
本当は呼吸しているだけであなたは素晴らしいはずなのに。

このテーマでもっと掘り下げて書いていきたいと思うので、ぜひ皆さんのご意見をお待ちしています。



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