夏目漱石「それから」本文と評論8-3
◇評論
「状箱(じようばこ)」…手紙を入れておく(使いに持たせてやる)箱。(三省堂「新明解国語辞典」)
「観世撚(かんじんより)」…観世縒(かんぜより)。こより。(三省堂「新明解国語辞典」)
「嫂は斯(か)う云ふ旧式な趣味があつて、それが時々思はぬ方角へ出てくる」…古風な趣味が意外な場面に意外な方法で発揮されること。
「代助は鋏(はさみ)の先で観世撚の結目(むすびめ)を突(つつつ)きながら、面倒な手数(てかず)だと思つた」…嫂は厳封する形で代助に手紙を送った。中に小切手が入っているからだ。合理主義な代助は、まだその中身を知らないので、「面倒な手数(てかず)」と思っている。
古風な状箱の「中にあつた手紙は、状箱とは正反対に、簡単な言文一致で用を済ましてゐた」…端的に、また話し言葉そのままで書かれている。
〇嫂の手紙の内容
・「此間(このあひだ)わざ/\来て呉れた時は、御依頼(おたのみ)通り取り計らひかねて、御気の毒をした」…代助への気遣い・謝罪。
・「後から考へて見ると、其時色々無遠慮な失礼を云つた事が気にかゝる。どうか悪く取つて下さるな。」…日頃は仲良くしている間柄なのに、あの時は無下に断って悪かった。
・「其代り御金を上げる。尤(もつと)もみんなと云ふ訳には行かない。二百円丈都合して上げる。から夫(それ)をすぐ御友達の所へ届けて御上げなさい」…その謝罪の気持ちとして200円を都合するから、それで友人を助けよ。これが自分が用意できる最高額だ。
・「是は兄さんには内所(ないしよ)だから其積(そのつも)りでゐなくつては不可(いけ)ない」…あなたと私の関係だから金を用意したし、このことは内々に処理したい。他言無用だ。
・「奥さんの事も宿題にするといふ約束だから、よく考へて返事をなさい」…嫂は、30前後の義弟に結婚という安定をもたらしたいのだ。
前にも触れたが、当時の1円がもし現在の2万円だとすると、400万円ということになる。1円が5000円でも100万円だ。嫂は大金を用意し、義弟に貸したことになる。また手紙の文には「御金を上げる」・「二百円丈都合して上げる」となっている。これはもちろん、前回の話の流れから、代助が金を貸してくれないかということへの返事なので、実際に「上げる」わけではないだろうが、「貸す」という表現が用いられていないところに嫂の気遣いがうかがわれる。最悪の場合、返してもらえないことを、彼女は想定している。
それにしても梅子はどうやってこれだけの大金を、しかもすぐに用意できたのだろう。漱石の作品において金は、愛情表現であり、嫂は義弟を真に心配し、その幸せを願っている。世に出ないことを残念がっている。
嫂は嫂として義弟を諭(さと)す。「をすぐ御友達の所へ届けて御上げなさい」や、「よく考へて返事をなさい」などの命令口調にそれが表れる。しかしこの言葉には真心がこもっているので、まったく嫌味がない。代助にも読者にも、ただの命令ではなく、落ち着いた静かな諭しに聞こえる。
そのことは代助にも通じている。だから彼は、手紙と小切手を前に、「梅子に済まない様な気がして来た」のだ。「手紙の中に巻き込めて」以下は、嫂と義弟の心の交流がうかがわれるあたたかな部分だ。互いを思いやる人の心が描かれている。漱石の物語にはたいてい、失敗する男と悪意を持った他者が登場するが、時々このような情深い交流の場面が出てきて、読者の心をほっこりさせる。それがたまにしか出てこないので、かえって心にしみるのかもしれない。
「此間の晩、帰りがけに、向ふから」以降のやり取りは、前話では描かれていなかったので、今話での付け足しになる新たな情報だ。ここを詳し見ていきたい。
「此間の晩、帰りがけに、向ふから、「ぢや御金は要(い)らないの」と聞いた。貸して呉れと切り込んで頼んだ時は、あゝ手痛(てきびし)く跳ね付けて置きながら、いざ断念して帰る段になると、却つて断わつた方から、掛念(けねん)がつて駄目を押して出た。代助はそこに女性(によしやう)の美くしさと弱さとを見た」…嫂は義弟が心配なのだ。家族愛があるから、困っている義弟をそのまま見捨てるのに忍びない。代助はそこに「女性(によしやう)の美くしさと弱さ」を感じており、女性らしいやわらかで温かい心を見出している。相手をきっぱりと捨て去ることができない優しさ。
これは一方で、自分は助けてもらう立場なのに、その自分に憐憫の情を抱く相手の様子を「弱さ」と感じ表現する代助はいかがなものかとも思う。
「さうして其弱さに付け入る勇気を失つた。此美しい弱点を弄(もてあそ)ぶに堪(た)えなかつたからである。えゝ要(い)りません、何(ど)うかなるでせうと云つて分(わか)れた」…このまま金の無心を続けることは、相手の弱気に付け込む厚かましさだと感じた代助は、借金の申し出を取り下げる。しかしこの言葉を嫂は、おそらく、「いつも懇意にしているあなただが、これ以上頼んでも無理なようなので、他をあたります」という意味にとっただろうと代助は推測する。
「それを梅子は冷やゝかな挨拶と思つたに違ひない。其冷やかな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作の裏に、何処(どこ)にか引つ掛かつてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した」…ふだんであれば嫂は、まさに竹を割ったような快活な性格であり、物事をきっぱりと処断するのだが、代助を心配する気持ちから、今回は金を用意したのだろう、ということ。
金のない者が他者から金を借りて第三者に渡すというのは、本来筋が通っていない。また貸す方も、そうする理由・必要は無い。今回の嫂はそこに義理人情を感じている。日頃から心配している代助が困った上で自分に借金を頼んでいる。ならば筋は通らないが貸してやろう。そう嫂は思っている。代助は人の温かい心に付け入ったことになる。本来であれば代助は、嫂に金を返し、それほど三千代を助けたいのならば、自分で働いて彼女に貸してやればいいのだ。しかし彼はそうしない。そうして周りの人間を心配させ困らせる。
「代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈 暖(あたゝか)い言葉を使つて感謝の意を表した」…嫂への感謝をいつになく素直に伝えようとする代助。これが本来の彼なのだろう。しかし普段は韜晦(とうかい)の裏に隠されている。
「代助が斯(か)う云ふ気分になる事は兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起こらなかつたのである」…世間と人間を冷めた目で見る代助。
〇この場面の呼称について
①「代助は机の上を一目見て、此手紙の主は嫂だとすぐ悟つた。嫂は斯(か)う云ふ旧式な趣味があつて、それが時々思はぬ方角へ出てくる」。
②「手紙の中に巻き込めて、二百円の小切手が這入(はい)つてゐた。代助は、しばらく、それを眺めてゐるうちに、梅子に済まない様な気がして来た」。「えゝ要(い)りません、何(ど)うかなるでせうと云つて分(わか)れた。それを梅子は冷やゝかな挨拶と思つたに違ひない。其冷やかな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作の裏に、何処(どこ)にか引つ掛かつてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した」。「代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈 暖(あたゝか)い言葉を使つて感謝の意を表した。代助が斯(か)う云ふ気分になる事は兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまり起こらなかつたのである」。
①のような「嫂」という呼称は、「嫂」という立場にある者として相手を見た言い方だ。
それに対し②の部分は、自分を心配して道理を曲げてくれた相手を、「梅子」という一人の人間・存在として見た言い方だ。つまり、相手への感謝が「梅子」という呼称にあらわれている。
この部分も代助と話者が一体となった表現になっているが、話者は代助の気持ちを代弁して、このような表現にしている。
次には、とても首肯できない代助の考えが述べられる。
「実(じつ)を云ふと、二百円は代助に取つて中途半端な額(たか)であつた。是丈(これだけ)呉れるなら、一層(いつそ)思ひ切つて、此方(こつち)の強請(ねだつ)た通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気も出た」…まず、「此方(こつち)の強請(ねだつ)た通り」ということは、具体的な借金の額を示して嫂にねだったということだ。この情報はここで初めて明らかにされた。また、「二百円は代助に取つて中途半端な額(たか)であつた」の、「中途半端」が難しいが、初めの要求額はこの1.5倍から2倍程度だろうか。仮に要求額が400円だとすると、1円が現在の2万円換算で800万円。5000円換算で200万円ということになる。いずれにせよ結構な額を嫂にねだったことになる。
そうして代助は200円を「中途半端」とする。平岡の借金の額はどれほどだったのか。彼の一家の生計を成り立たせるにはどれほどのサポートが必要だったのか。代助が400円をそれに充てるに必要な額だと考えた理由が示されていない。
それにそもそも200円という大金を「中途半端」と言ってしまう代助は、金銭感覚がバグってるのではないか。彼は、父や兄に知られぬようにしてこの大金を準備してくれた嫂の苦労を全く考えていない。代助にとっての200円は、いったいどれほどの価値を持つものなのだろう。大した金額とは思っていないのではないか。実家は大変な財産家とはいえ、彼は毎月いくら援助してもらっているのだろう。
もしかしたら代助は、自分で働いても大した収入にはならないし、そうであるならば、今まで通り実家から援助してもらった方がいい。そうしても罰は当たらない。と考えているのではないか。金持ちのボンボン、道楽者の二代目と言われても仕方がない。「是丈(これだけ)呉れるなら、一層(いつそ)思ひ切つて、此方(こつち)の強請(ねだつ)た通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気も出た」という考えを知ったら、嫂はどう思うだろう。ずいぶん傲慢な態度だ。
ということで代助・語り手は、「が、それは代助の頭が梅子を離れて三千代の方へ向いた時の事であつた」と、あわてて保留を付ける。また、「その上、女は如何(いか)に思ひ切つた女でも、感情上中途半端なものであると信じてゐる代助には、それが別段不平にも思へなかつた」と、現代では差別だと眉を顰(ひそ)めるようなことを言う。
まだ続く。「否(いな)女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる所置よりも、同情の弾力性を示してゐる点に於て、快(こゝろよ)いものと考へてゐた」。これも男女双方に対する偏見・差別だ。明治の新しさは、まだこのレベルだった。
従って次の論理も、以上の代助の考え方から導き出された独特なものということになる。「だから、もし二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて、父であつたとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、却つて不愉快な感に打たれたかも知れないのである」。
「女性の感情は中途半端なものだ。これに対し男性は断然たる所置ができ、申し出た額を貸してくれただろう」ということか。しかし兄にはすでに断られている。父にでも頼んでみればいい。
相手の好意を「中途半端」と言ってしまう代助自身、その存在はとても「中途半端」だ。
「代助は晩食(ばんめし)も食はずに、すぐ又 表(おもて)へ出た」…小遣いをもらった子供が、一目散にお菓子を買いに行くのと同じ様子。お金を手にした喜びで、一刻も早くそれを三千代に手渡したいのだ。
三千代が住むのは、「細く高い烟突が、寺と寺の間から、汚ない烟(けむ)を、雲の多い空に吐いて」いる場所だ。「貧弱な工業が、生存の為に無理に吐(つ)く呼吸(いき)を見苦しいものと思」い、「さうして其近くに住む平岡と、此烟突とを暗々(あん/\)の裏(うち)に連想せずにはゐられなかつた」。あくせく動き回る平岡も、見苦しい息を吐く。代助の価値観は、「同情の念より美醜の念が先に立つ」。醜く「空(そら)に散ちる憐れな石炭の烟(けむり)に」、代助の感覚は「刺激された」。当然彼は、そのような場所から愛する三千代を救い出したいと考える。
「平岡の玄関の沓脱(くつぬぎ)には女の穿(は)く重(かさ)ね草履が脱ぎ棄てゝあつた」…これは当然三千代の草履だが、それが「脱ぎ棄てゝあつた」ことには理由があるだろう。せわしない生活の表象か、この前に何かがあったのか。三千代の履き物しかないということは、平岡は外出していることを表す。そうすると、三千代の草履の乱れは、彼女自身がそうしたのではなく、平岡が慌てて・せわしなく出かけたため、その影響で(慌てる平岡に無意識に蹴られて)彼女の草履が乱れたのだろう。
「格子を開けると、奥の方から三千代が裾(すそ)を鳴らして出て来た」…代助の呼びかけに、すぐに反応し急いで出てくる三千代。
「其時上がり口の二畳は殆(ほとん)ど暗かつた。三千代は其暗い中に坐つて挨拶をした」…闇の中で再会するふたり。闇は無意識の世界であり、ふたりは無意識のうちに魅かれあう。
「始めは誰が来たのか、よく分からなかつたらしかつたが、代助の声を聞くや否や、何方(どなた)かと思つたら……と寧ろ低い声で云つた」…この三千代の言葉は嘘だ。彼女はその来訪の声を聞いた途端、代助だとわかっている。なぜなら彼女も代助が好きなのだから。
「代助は判然(はつきり)見えない三千代の姿を、常よりは美しく眺めた」…ふつうこんなことを言ったら相手の女性に殴られるだろう。しかしこの場面をよく見てみると、暗い玄関の上がり口に座り、代助を迎えている三千代は、うつむいているだろう。低く落ち着いたその声。明るいところで相手をまじまじと見ることは許されぬ。立つ代助は、自分の前に座る三千代を、暗さを理由にゆっくりと眺めることができた。つつましく美しいその姿。困っている相手を救う手段が、今自分の懐にある喜び。それらが総合された三千代の「美し」さだ。
「重ね草履(かさねぞうり)」…表の真竹(まだけ)の皮と裏の革との間に淡竹(はちく)の皮などを挟んで作った草履。(デジタル大辞泉)
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