夏目漱石「それから」本文と評論12-4「窮屈な恋」
◇評論
「兄は滅多に代助の所へ来た事のない男であつた。たまに来れば必ず来なくつてならない用事を持つてゐた。さうして、用を済ますとさつさと帰つて行つた」
…男兄弟は、こんなものだ。
「「えゝ、実は今朝六時頃から出やうと思つてね」と代助は嘘の様な事を、至極冷静に答へた。兄も真面目な顔をして、「六時に立てる位な早起きの男なら、今時分わざわざ青山から遣(や)つて来やしない」と云つた」
…前話に「目が覚めた時は、高い日が緑に黄金色の震動をさし込んでいた」とあるから、代助の起床は遅かったし、その後の兄の来訪はより遅い時間となる。従って、代助の「実は今朝六時頃から出やうと思つてね」の六時は既に過ぎていただろうし、それなのに「実は~出やうと思つて」はとぼけた「嘘」になる。だから兄は、「六時に立てる位な早起きの男なら、今時分わざわざ青山から遣(や)つて来やしない」と、代助の寝坊を皮肉ったのだ。頭脳明晰なくせに、何をとぼけたことを言っているのだという意味。馬鹿にされたと相手に思われても仕方ない、代助の言い方。
兄の「用事」は、「矢張り予想の通り肉薄の遂行に過ぎなかつた。即ち今日高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞(ふるま)ふ筈(はず)だから、代助にも列席しろと云ふ父の命令であつた」。先日の顔合わせの結果を告げずに旅に出るという話を誠太郎から聞いた「父は大いに機嫌を悪くした」。「梅子は気を揉(も)んで、代助の立たない前に逢(あ)つて、旅行を延ばさせると云ひ出した」。いかにも嫂らしい反応。「兄はそれを留(と)めた」。前にも述べたが、嫂はこの家族の融和を望んでいる。代助にはいいお嫁さんが来ないかと願っている。漱石は彼女を、そのように上手に描く。この後の嫂の「気を揉(も)んで、代助の立たない前に逢(あ)つて、旅行を延ばさせると云ひ出した」もそうだし、「御父さんに悪いからつて、今朝起きるや否や、己(おれ)をせびる」もそうだ。気のいいおせっかいな人なのだ。
ところで、「午餐」(昼食)とあるから、これに代助が参加するためにはさっそく準備をしなければならないだろう。
「「なに彼奴(あいつ)が今夜中に立つものか、今頃は革鞄の前へ坐つて考へ込んでゐる位のものだ。明日になつて見ろ、放つて置いても遣(や)つて来るからつて、己(おれ)が姉(ねえ)さんを安心させたのだよ」と誠吾は落付き払つてゐた」
…代助のとりかかりの遅さ・鷹揚さと、旅行の資金を入手するために実家を訪れるはずだということを見抜いている兄。そうしてそれを根拠に嫂を安心させたのは自分だと誇る様子に、「代助は少し忌々(いま/\)しくなつた」のだ。だから、「ぢや、放つて置いて御覧なされば好(い)いのに」と悪口をたたいた。
「決答」…はっきりと答えること。また、その答え。確答。(デジタル大辞泉)
「佐川の娘の方は、つい先達(せんだつて)、写真を手にした許(ばかり)であるのに、実物に接しても、丸で聯想が浮かばなかつた」
…代助は佐川の娘に全く興味がないのだ。だから話題は彼女を完全に離れ、写真の「奇体」さに移る。人間から「写真の誰彼(だれかれ)を極(き)めるのは容易」だが、「その逆の、写真から人間を定める方は中々六づかしい。是(こ)れを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云ふ真理に帰着する」。論理としては多少の興味をそそられるが、この場面では特に意味を持たない話題。だから、「私は左様(さう)考へた」とやや誇らしげに言う代助に対し、「兄は成程と答へたが別段感心した様子もなかつた」のだ。
「葉巻の短くなつて、口髭(くちひげ)に火が付きさうなのを」からは、兄がよい機会を辛抱強く待っている様がうかがわれる。先にも述べたが、この場面で兄は、このように代助に気を遣っている。次の場面もそうだ。
「それで、必ずしも今日旅行する必要もないんだらう」という聞き方は、とても丁寧で相手に考える余裕を与えた言い方だ。「必ずしも~ない」もそうだし、「~だろう」もそうだ。角が立たないような表現で、代助の真意を尋ねようとしている。兄が弟に、「今日の旅行は中止だな」と率直に言ってもいい場面だからだ。だから「代助はないと答へざるを得なかつた」のだ。
これに続く次の言い方も同様だ。
「ぢや、今日 餐(めし)を食ひに来ても好(い)いんだらう」という問いに、「代助は又 好(い)いと答へない訳に行かなかつた」。
世慣れた兄の交渉術の巧みさでもあるが、兄なりの弟への気遣いが感じられる場面。
午餐参加の確証を得た兄は、「一体 何(ど)うなんだ。あの女を貰ふ気はないのか」と、代助の真意を尋ねる。また、佐川の娘を薦める理由として、「好(い)いぢやないか貰つたつて。さう撰(え)り好みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間は男女に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、左様(さう)でもなかつたのかい。――まあ、どうでも好いから、成る可(べ)く年寄を怒らせない様に遣(や)つてくれ」と述べる。
①女房を選り好みしてもしょうがない(誰をもらっても同じ)
②年寄りを怒らせない方がいい(先が短いのだから)
この兄の言葉は意外に核心をついている。
代助の三千代への恋は、確かに「撰(え)り好み」だからだ。彼の美意識に適合する者は、三千代しかいない。それは「元禄時代の色男の様で可笑しい」と言われても仕方がない。その通りだからだ。新しい時代に生き、旧時代を越えた考えを持つはずのこの様子は、何ともちぐはぐだと、代助は兄から批判されてしまった。今のお前は「窮屈」だという、意図せぬ批判。自由と自己を標榜する代助にとって、これは痛い言葉だったろう。
「代助は座敷へ戻つて、しばらく、兄の警句を咀嚼」する。そうして、「自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考へられない」と思う。しかしその後に続く「結論」は、「だから、年寄りを怒らせないためにも、誰でもいいから結婚をする」ではなく、「だから、結婚を勧める方でも、怒らないで放つて置くべきものだ」という非論理的なものだった。結婚をする主体である自分の判断や行動が問われているのに、それを勧める側を責めるのはナンセンスだ。もちろん代助自身、自己の没論理には気づいていて、だから、「自分に都合の好い結論」と言い訳めいた説明をしたのだった。
(次回、佐川の娘の画像を載せます)
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