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夏目漱石「それから」本文と評論12-6「令嬢はいゝえと云つて、心持顔を赤くした」

◇本文
 食卓は、人数が人数だけに、左程大きくはなかつた。部屋の広さに比例して、寧ろ小さ過ぎる位であつたが、純白な卓布を、取り集めた花で綴(つづ)つて、其中(そのなか)に肉刀(ナイフ)と肉匙(フオーク)の色が冴(さ)えて輝いた。
 卓上の談話は重(おも)に平凡な世間話であつた。始めのうちは、それさへ余り興味が乗らない様に見えた。父は斯(か)う云ふ場合には、よく自分の好きな書画骨董の話を持ち出すのを常(つね)としてゐた。さうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前に陳(なら)べたものである。父の御蔭(おかげ)で、代助は多少 斯道(このみち)に好悪(こうお)を有(も)てる様になつてゐた。兄も同様の原因から、画家の名前位は心得てゐた。たゞし、此方(このほう)は掛物(かけもの)の前に立つて、はあ仇英(きうえい)だね、はあ応挙だねと云ふ丈であつた。面白い顔もしないから、面白い様にも見えなかつた。それから真偽の鑑定の為に、虫眼鏡などを振り舞(まは)さない所は、誠吾も代助も同じ事であつた。父の様に、こんな波は昔の人は描(か)かないものだから、法にかなつてゐない抔といふ批評は、双方共に、未だ嘗て如何なる画に対しても加へた事はなかつた。
 父は乾いた会話に色彩を添へるため、やがて好きな方面の問題に触れて見た。所が一二言(いちにげん)で、高木はさう云ふ事に丸で無頓着な男であるといふ事が分つた。父は老巧の人だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかつた。父は已(や)むを得ず、高木に何(ど)んな娯楽があるかを確かめた。高木は特別に娯楽を持たない由(よし)を答へた。父は万事休すといふ体裁で、高木を誠吾と代助に托して、しばらく談話の圏外に出た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋やら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行つた。さうして、其中に自然令嬢の演ずべき役割を拵(こしら)えた。令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移つた。最後にエマーソンやホーソーンの名が出た。代助は、高木に斯(か)う云ふ種類の知識があるといふ事を確めたけれども、たゞ確めた丈で、それより以上に深入りもしなかつた。従つて文学談は単に二三の人名と書名に終つて、少しも発展しなかつた。
 梅子は固より初めから断(た)えず口を動かしてゐた。其努力の重(おも)なるものは、無論自分の前にゐる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあつた。令嬢は礼義上から云つても、梅子の間断(かんだん)なき質問に応じない訳に行かなかつた。けれども積極的に自分から梅子の心を動かさうと力(つと)めた形迹は殆んどなかつた。たゞ物を云ふときに、少し首を横に曲げる癖があつた。それすらも代助には媚(こび)を売るとは解釈出来なかつた。
 令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始めは琴を習つたが、後にはピヤノに易(か)えた。バイオリンも少し稽古したが、此方(このほう)は手の使い方が六(む)づかしいので、まあ遣(や)らないと同じである。芝居は滅多に行つた事がなかつた。
「先達(せんだつて)の歌舞伎座は如何(いかゞ)でした」と梅子が聞いた時、令嬢は何とも答へなかつた。代助には夫(そ)れが劇を解(かい)しないと云ふより、劇を軽蔑してゐる様に取れた。それだのに、梅子はつゞけて、同じ問題に就(つ)いて、甲の役者は何(ど)うだの、乙の役者は何(なん)だのと評し出した。代助は又嫂が論理を踏み外したと思つた。仕方がないから、横合(よこあひ)から、
「芝居は御嫌ひでも、小説は御読みになるでせう」と聞いて芝居の話を已(や)めさした。令嬢は其時始めて、一寸(ちよつ)と代助の方を見た。けれども答は案外に判然(はつきり)してゐた。
「いえ小説も」
 令嬢の答を待ち受けてゐた、主客はみんな声を出して笑つた。高木は令嬢の為(ため)に説明の労を取つた。その云ふ所によると、令嬢の教育を受けたミス何とか云ふ婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒(ピユリタン)の様に仕込まれてゐるのださうであつた。だから余程時代後(おく)れだと、高木は説明のあとから批評さへ付け加へた。其時は無論誰も笑はなかつた。耶蘇教に対して、あまり好意を有(も)つてゐない父は、
「それは結構だ」と賞(ほ)めた。梅子は、さう云ふ教育の価値を全く解(かい)する事が出来なかつた。にも拘はらず、
「本当にね」と趣味に適(かな)はない不得要領の言葉を使つた。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与へない様に、すぐ問題を易えた。
「ぢや英語は御上手でせう」
 令嬢はいゝえと云つて、心持顔を赤くした。

(青空文庫より)

◇評論
「純白な卓布を、取り集めた花で綴(つづ)つて、其中(そのなか)に肉刀(ナイフ)と肉匙(フオーク)の色が冴(さ)えて輝いた」
…Copilotに画像を作ってもらいました。
「純白な布と花で作ったかごに入っているナイフとフォークの画像」

どれもきれいですね
お見合いの食事会にぴったりです

「父は斯(か)う云ふ場合には、よく自分の好きな書画骨董の話を持ち出すのを常(つね)としてゐた」
…財産家の趣味によくある書画骨董。有り余る金の消費先として最適だし、自分の趣味の良さがアピールできる。現代では、税金対策にもなる。
 (余談だが、近所に日本画好きが高じて美術館を作った者がいる。田舎に一つ、東京に一つ、しまいにはアメリカに一つ。どれほどの金持ちかと思うほどだ。田舎の一館は震災以来休館となっている。偉くなればなるほど、歳をとればとるほど、そのポストにあるだけで自分は働かなくても自然と財産は増える。不思議な世の中だ)

「乾いた会話に色彩を添へるため」の父の努力は無に帰す。「高木は特別に娯楽を持たない」男だった。誠吾は、「何の苦もなく、神戸の宿屋やら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行」き、「其中に自然令嬢の演ずべき役割を拵(こしら)えた」が、「令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた」だけだった。
父と高木の趣味は合わず、令嬢は終始寡黙で全く話に乗ってこない。高木に多少の「知識」・教養はあるようだが、代助は「深入り」・「発展」できないで終わる。白けたランチになってしまった。

「仇英(きゅぅえい)」…中国明代の画家。
「楠公神社」…神戸市にある湊川神社の通称。楠木正成を祭る。
「エマーソン」…アメリカの思想家。個人主義と汎神論などを説いた。(角川文庫注釈)

「初めから断(た)えず口を動かし」、「自分の前にゐる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩す」「努力」をする梅子だったが、「令嬢は礼義上」「梅子の間断(かんだん)なき質問に応じない訳に行かなかつた」一方、「積極的に自分から梅子の心を動かさうと力(つと)めた形迹は殆んどなかつた」。寡黙な令嬢。

「たゞ物を云ふときに、少し首を横に曲げる癖があつた。それすらも代助には媚(こび)を売るとは解釈出来なかつた」
…令嬢の「少し首を横に曲げる癖」は、本当に癖であって、「媚(こび)を売る」ためではなかったということ。代助はそのしぐさが、むしろ媚を売るために行われた方が自然だったと感じている。

「令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始めは琴を習つたが、後にはピヤノに易(か)えた」
…教育を受け、稽古事もこなしているという令嬢の育ちの良さ。しかしその成果は無い。

バイオリンも少しだけ稽古。「芝居は滅多に行つた事がなかつた」だけでなく、「劇を軽蔑してゐる様」。
「芝居は御嫌ひでも、小説は御読みになるでせう」と尋ねる代助を、「令嬢は其時始めて、一寸(ちよつ)と」「見た」が、「いえ小説も」と、「案外に判然(はつきり)」と答える。初めて交わす言葉が相手の言の否定では、会話も成り立たないし、心もつながらない。

「ミス何とか云ふ婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒(ピユリタン)の様に仕込まれてゐる」。「時代後(おく)れ」で英語も下手。
「清教徒(ピユリタン)の様」だからといって、これほど無教養とはならないだろう。英語を習った意味もない。

外見も代助の目を引かず(代助は美醜に敏感)、教育を受けたにも関わらず内面も教養に乏しい。万事が遠慮がち。魅力に欠ける令嬢の様子に、代助の彼女への関心は完全に失われる。

若くてちょっとカワイイだけじゃダメですね。

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