走り高跳び(ダスト・エッセイ)

 もし生まれ変わってもスポーツをやるなら、また陸上競技でもいい。それくらい、今回の人生ではハマった。その中でも、できれば走り高跳びをやりたい。足のバネは褒められるのに、器械体操的な動きができないから、結局は遊び気分で試合に出たことしかない。陸上を知らない人が見ても、はたまたスポーツに興味のない人が見ても、かっこいいと思える種目だと思う。

 こうして文章を書くという作業は、どことなく高跳びに似ている気がする。走り出して、リズム良く助走のスピードを上げて、バーの前で踏み切る。踏み切るとは、踵から入って、急ブレーキをかける、と言ってもいいかもしれない。自転車を思いっきり漕いでいて、急ブレーキをかけたら、飛んでいってしまうような。これで跳ぶ。空中動作がこれをサポートする。バーに当たって落としたら、助走からの跳躍を見直して、もう一度挑む。

 まずは思ったことをずらーっと書いてみる。途中で、パッと手を止めて、文章を読んでみる。うーん、違うなあ、と思う。バーが落ちている。文章を書き直す。またバーが落ちる。でも、さっきより少し良い。3回目。バーにかすったけど、助走も踏切も噛み合って、空中での動作もハマり、なんとか成功。良い文章が書けた。知っていることを書くのではなくて、書いて知っていく。そうした「知ったこと」が、最終的に書かれている。そういうことを繰り返している。

 短い距離しか走らないから、楽なようにも見える。が、それを何本も走ること。その走りを止めるブレーキの負担はとても大きいこと。よって、筋力もスタミナも欠かせない。思考の肺活量が必要なのと似ている。助走のスタート位置も鍵になる。そもそも、踏み切り足と逆側からスタートしてはもったいない。

 短い助走も長い助走も個性が出る。真正面からは飛ばないのか、という疑問もある。それは、別の種目になる。いかにさっさと片すかはハードルで競ってもらう。ビジネス書や名言集なんかがこれっぽい気がする。専門の人以外にはなんだかよくわからない方法でやけに高く跳ぶ棒高跳びという種目もある。これは学問だろうか。かっこいいが、孤立感も否めない。走り高跳びは、バーに向かう、この角度が面白い。そういう角度と跳び方の文章は、やっぱ面白い。

 同じように、加藤典洋さんが、文章について、走り高跳びを例に話していた。まぐれで2メートルを跳んだとする。また跳べるとは限らない。でもそれが、その人の記録=実力だ、と。文章も、それでいい。まぐれをいかにひきこめるかがおもしろい。そしてこの競技者は、全員、最後は失敗して競技を終える。だから、「失敗は成功より、いつも、スケールが大きい」。

 普段、こんなに失敗を前提にする時間というのも珍しい気がする。走り高跳びでは、少なくとも各高さに対して2回までの失敗が許されているし、最後は失敗で終わる。文章は、締め切りまでバーを落とす覚悟でトライして、でもより高いものを目指して、でも最後は"失敗"で終わる。この「スケールが大きい」時間と体験は、たまらない。

2022年6月23日投稿

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