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「やっと!」と「解放」
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すでに2024年も12月の8日。
今年の終わりの1か月が1週間以上過ぎている。
慌ただしく過ぎた日々の虚しさ。
そう思ってしまいがちだけれど。
実際、「書きたい」「書く」という、今年の初めにやりたいと思ったことは、最初の3か月ほどでとん挫したまま2024年の11か月が過ぎ去った。それは現実。
とはいえ、日常生活を振り返れば、様々な出来事があった。
災害級の酷暑をなんとか体調を崩して寝込むことなく乗り切り、乗り切った……と思った頃、父が亡くなった。
突然だった。
喪主として葬儀を無事終え、今は解放感。
実はまだ手続きが残っていて、私がやるといってしまったのでやらなければならないのだけれど、解放感と脱力感で、すでに1か月半近く、実家からは足が遠のいている。
母が残っているが、妹二人がよく面倒を見ているから、良しなのだ。
死は人間にとって誰にも平等に訪れる、数少ない公平なものだけれど、残された人間には波乱万丈な出来事だ。
その出来事が少しも悲しくない。
多くの人が悲しむ出来事が悲しくないのだ。
実感がないだけだと周りの人に言われたがそうじゃないのだ。
84歳の誕生日も孫たちに囲まれて祝われ、体の自由が少しづつ奪われ、ひどくなる失語症にもいらだっていた父が、肺塞栓の発作で階段から落ち病院で急変して亡くなる。
ある意味「ぴんぴんころり」に近い見事な最期だったと私は心から思う。
だから悲しくない。
ひょっとしたら私の感覚が鈍りきって、泣けないだけ?なのかと疑ってみたのだが、『ダンダダン』のアニメ7話「優しい世界へ」は長女と二人で大号泣した。保護猫さん達のネット記事にもたびたびうるうるしている。
悲しめないわけでも、泣けないわけでもない。
なぜ悲しくないのか、父との思い出をたどってみたら、良いことより悪いことばっかり思い出した。
時代の価値観が許したというのはあるけれども、今であれば虐待といえる部分もある人だった。それでも娘として生きてるうちにできることはしてきた。だから後悔がないのもあるかもしれない。
葬儀も家族葬で大変満足のいくものだった、私は。
どうも妹達はそう考えていないようで、あるいは何も考えていないようで、四十九日の扱いと納骨をめぐって険悪になった。
それまで深く考えないようにしていたことが表面化。
家族でも分かり合えない。
まあ、分かり合う必要もない。
分かり合おうとすると苦しいだけ。
深く内省すれば、物心ついた頃から、その「分かり合えない」に苦しんできたことを思い出す。
だから母や妹に会いたくない自分を肯定してみる。
そうしてやってきた解放感に、再び「書きたい」気持ちが芽生えてる。
家族というのは呪縛でもある。
まだどこかに「良い娘でいなければ」の気持ちが残ってもいるから完全な開放ではないけれども、私を閉じ込めていた重たい蓋がすごく軽くなって、内側からも持ち上げられるようになったことは間違いない。
書けなかったけれど、これから自分らしく飛躍するための1年になったことは間違いない。