【妄想の掌小説】猫は可愛い
日記風の文章よりも、まったくのフィクションの方が公開するのが恥ずかしい。この「恥ずかしい」の感情がこの数年ひどくなって、書いたまま、あるいは書きかけのまま、放置された言葉の塊が増えた。
noteを再開して、頑張ってる皆さんの文章に触れて、勇気をもらって、「恥ずかしい」の壁を越えられるような気がしてきて、それでも1週間ぐらいは躊躇している。なんなら今も躊躇している。
小説というのもはばかられる、ショートショートというのもどうなんだろう……そんな作品ですが……公開してみよう。
えいっ!
物心ついたころから猫が好きだった。
もふもふとした被毛に覆われた柔らかい躰。
光の量にあわせて変化する眼。
しっとりと湿った鼻。
小さな音を聴きつけるつんととがった耳。
すべてが可愛さを際立たせるバランスで配置されたその存在。
こんなに愛らしく愛おしい生き物がいるなんて……。
今この瞬間も、そう思っている。
現在の人類種として認識されているホモ・サピエンスは最初その変化に気づかなかった。
正確にはその変化が自分達の生存を脅かすようになるまで気づこうとしなかった。
犬よりも猫を家族として迎える文化は2000年代前半に確立していて、猫は家の中で生活をするようになっていた。その頃、人類は小さな紛争はあるものの第2次世界大戦の後の平和を多くの地域が享受していた。しかし、先進国と発展途上国の格差は広がり、地球の資源を自然の回復力の限界を超えて使いすぎた結果、自分の故郷を失う人々が出始めた。搾取される人々の不満も高まり、覇権争いをする大国のエゴは小国の紛争に火に油を注ぐように武器を供給した。そして、第3次世界大戦は起こった。
2033年に始まった戦争は、連鎖する猜疑心により、戦争の抑止に核兵器が役に立たないことを証明し、人類の8割を滅ぼした。廃墟と化した都市の復興は少ない人類では難しく、復興は遅々として進まなかった。
2200年代に入って、やっと歴史書に見る1970年代の生活レベルに近いところまで日常が戻った。
復興とともに、都市に鼠達が増え始め、あらゆる場所を齧り始めた。地中や壁内に埋め込まれた電線も例外ではなく、電気系統に多大な被害が広がった。
猫が鼠を退治するという古い文献を読んだ学者達が猫の中外自由行動を推奨し始めた。最初、それは上手くいっているように見えた。室内で目にする鼠の数は目に見えて減っていった。そのことに安堵したホモ・サピエンスは更なる生態系の変化に気づこうとはしなかった。人類が目をくらませている間に鼠はこれまでの進化のスピードを超えて大型化し、それを食した猫もまた大型化していった。
一緒に暮らす猫たちの大型化を人類は「可愛い」と歓迎するばかりで、その進化がこれまでとは比べ物にならないほど早いことに危機感を覚えるものはいなかった。
2220年には、鼠を食す成猫は体長3メートルを超えるようになった。ホモ・サピエンスの小さな家屋ではともに暮らすことが難しくなった。
大きくなっても、猫たちは穏やかだった。大きくなった鼠達を食べてお腹を満たし、自分達よりも小さくなった人間たちには家猫時代と同様に親愛の情を示してくれていた。元の家族である人間たちは家を出て、愛猫達の暖かな被毛の間にくるまって星空を眺めながら寝る生活を選ぶ人も少なくなかった。
私もその一人。愛する我が息子はふわふわの白い被毛に青い眼の美しい猫だ。生まれたばかりの頃に知人の家の前に発泡スチロールの箱に入れられて置かれていた。私のもとに来たときは私の手のひらに乗る大きさで、眼も開いていなかったが、泣き声の大きな元気な子だった。お互いになれない哺乳瓶での授乳に苦労した。体温調節が未熟な彼を首元に置いてうとうとと仮眠を取る生活。哺乳瓶でミルクを飲むことになれた頃、目が開いて、彼が初めて目にしたのは私。キトンブルーの瞳は長じてそのまま美しいブルーの瞳となった。彼にとっては私はまさに母。「かあにゃん」と呼んでくれる彼が可愛くて愛おしくて。仕事から帰宅すると玄関で出迎えてくれる私の息子。そんな穏やかな日々に忍び寄る変化など気づくはずもなく。
鼠を彼が初めて退治してくれたのは、今年の春。2歳になっていた。どんな突然変異なのか、遊び半分で齧った鼠は猫には大変に美味なようで、それまでキャットフード以外人間の食べ物はほとんど口にしなかったのに、鼠を積極的に狩って食べるようになった。もともと大きなコだったが、鼠を食し出してから、再び成長が始まって体長も体重も増え始めた。
あれよあれよという間に、私を超えて大きくなり、家の中に入ることが出来なくなった。甘えん坊の母さんっこで、私の腕枕で寝ていたコだから、甘えたくてよく鳴いた。小さくなった母でも、そばにいてかりかりと撫でてもらうのが嬉しくて安心するようだった。そんな彼がますます愛おしかった。
電力がほとんど使えなくなってこれまでの便利な生活はできなくなったが、ネオンの消えた夜は星の光が美しい。猫の息子にくるまって、彼のノドを鳴らすゴロゴロという音を聴きながら過ごす夜は幸せに満ちていた。
そして今、私の目の前には彼のピンクの肉球。家の中にいた頃よりはちょっと固くなったのかなと思われる色。私の体より大きな。
何キロぐらいになったのかな。
いや、何トン?かな……。
彼の首元からバランスを崩して転がり落ちた私の上に踏み下ろされようとしている肉球。
打ち所が悪かったのか、手足が動かない。
私がここにいることに彼は気づいていない。
甘えん坊の彼は、私が動かなくなったら泣くんだろうな…。
限りある命なのだから、こんな終わりも悪くない。
彼を残して逝くことは心残りだけれど。
今日は2222年2月22日。
静かだ。
月が美しい。
やっぱり猫は可愛い。
(終)