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疲れと没頭の間に

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。

今回のテーマは「#疲れがとれない」です。

「疲れがとれない」って、とっっっても分かる。これを書いている今も、太ももから腰あたりまで重たい感じがするし、首を左右に傾ければコキコキ音が鳴る。

「”生きる”ということは、疲れが溜まることである」とは、僕が今考えた言葉だ。今考えた言葉ではあるけれど、過去の偉人もすべからく思っていたに違いない。

これまでの人生で疲れていなかった時のことを思い出してみる。思い出せる限り、ずっと疲れているような気がする。社会人になってからは仕事にプライベートに忙しく走り回っては疲れていたし、子供の頃は友だち関係や家族のこと、勉強や将来のことなど、考えることが多く疲れていたと思う。

ただその中でも疲れを知らず、睡眠時間を削っても動き回れたこともある。大学生の時には、学校に行って、サークル行って、朝までアルバイトして、またすぐ学校に行って・・・という毎日を繰り返していた。今だったらすぐに疲れそうな日々だったのに、まったく気にならなかった。それは、学校もサークルもバイトも、全てに没頭していたからだと思う。

もしかしたら歳を取るにつれ「疲れがとれなくなる」のではなく、「没頭することが減った」のかもしれない。

年々、やったことがないことは減っていく。そのうえ、情報コミュニケーション技術の発達によって、遠くの出来事でも疑似体験できてしまう。没頭する間もなく、やった気になってしまう。

何かを始める前に考えてしまっては、没頭にたどり着けるわけがない。何も知らず、やりたいと思ったら考えすぎず行動するのが良い。
しかし、まったく考えず自分がやりたいことをやって事件に巻き込まれてしまった男の映画が『白鍵と黒鍵の間に』である。

(あらすじ)
昭和 63 年の年の瀬。夜の街・銀座では、ジャズピアニスト志望の博は場末のキャバレーでピアノを弾いていた。
博は謎の男にリクエストされて、“あの曲”こと「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏する。しかし、“あの曲”をリクエストしていいのは銀座界隈を牛耳る熊野会長だけ、演奏を許されているのも会長お気に入りの敏腕ピアニスト、南だけだった。この事件から予測不可能な“一夜”を迎えることに・・・。

博は自分の想いのままに没頭してしまい、それが事件に繋がっていくのだが、傍から見ていると羨ましくも思う。あと先を深く考えず、好きなピアノにのめり込む姿は、あれだけ過酷な状況で演奏をしても疲れている様子すら見えない。

僕は今、仕事をして、学校も行って、夜は飲食店を手伝っている。目の前のことに没頭していることもあれば、疲れがとれないと感じる時もある。いや疲れを感じている時の方が多いかもしれない。
あれ、これよく考えたら大学生の時と同じような状況では・・・忙しいのが好きな性分なのだな。

そして今日もまた、疲れと没頭の間でこのnoteを書いている。

文章:真央
編集:べみん

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