レポ 【ドクメンタ15×コレクティブ=存在しない?Documenta 15 x Collective = Does not exist from outside ?】
【ドクメンタ15×コレクティブ=存在しない?
Documenta 15 x Collective = Does not exist from outside ?】
10/15(土)20-22時/JST
ドクメンタ15を例の一つとして、
コレクティブがなぜ取り上げられるのか、コレクティブの内実についてなどなど、左脳右脳身体を動員して考察してみます。
話題はアートに留まらず、さらに「対話」や「メソッド」をはじめから設定する場の有効性についても及ぶかもしれません。
※「コレクティブやドクメンタ」について、既に知っている前提で話していきますのであしからず〜
・前半:話題提供×2(45分くらい)
Aki iwaya / VS? collective、
「ドクメンタ15・クリスチャニア・ウジュピス共和国日記」 https://note.com/mamangao/n/ndd6ec2d91f20
山川 陸さん/ 建築・Transfield Studio 、
「ドクメンタ滞在記」 https://bit.ly/3THi8Pf
後半:よもやま雑談を、みんなで。
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【雑なまとめ】
従来の西欧型芸術祭と比較した際の「違和感」について、
開催の文脈や背景、キーワードや映像の扱い方、会場構成といったキュレーション面などからも取り扱いました。他のフェスティバルやターナー賞にノミネートする欧米系コレクティブとの比較、さらに現地からのリアルな反応もシェアし、ドクメンタとの距離感がより現場に近い話だったとフィードバックをもらい、さらにアフタードクメンタの取り組みも含めてシェアしました。
研究者やアーツカウンシル、共同製作経験者や映像専門家、レジデンス運営側など多様な参加者があり、時間延長を複数回行うなど、自身のプライベートにひきつけて考える場面も生まれる場となりました。
当初はドクメンタ参加作家も混ざる予定だったが、回線の都合で叶わず、「来週催してくれ、でなければ来月自分たちがインドネシアでやるから混ざれ」、とメッセージをくれたのが後日談。
また、何らかの形で、こうした/こうではなくても、場を開きたい。
【メモ】
アートの定義の違い・拡張
どれだけそこに居られるか?の設えについて、プロセスを共有することの価値? →時間をかけなくても「価値」は発生するのでは?
「市民」に戻らないと、一緒には居づらいのかな
「市民」としての自分ってなんだろう、というのちゃんと考えたことないかもな…
「居るのはつらいよ」https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/106574
人が集まることじたいの研究、考察、、、
Gudskul
ドクメンタいった人いると嬉しくなりますね…悶々とし続けているので…
作り手はどこまで時間を過ごしてくれることを期待していたのか
乗っかることを諦めない!
要素が多い展示空間
project art works イギリスのassemble あいトリにも出てる Theaster Gates
”ニュー”、に関してはフィリピンのNGOの人が「市民活動に必ずしも新しさは必要ない」と言っていたのも重なります
ある関心にむけて人が集まる 瞬間 がコレクティブのエッセンス…
それぞれの違和感を持ち帰って,投げ返して、入れ子になって
当たり前の考え方を、アウトプットしてプレゼンテーションすると視差が生まれる
笑うことを諦めるな
RAU・山川陸 https://rau-ynu.com/
CSLAB・うらあやかさんが管理人している https://cs-lab.zokei.ac.jp/
「環状島へようこそ トラウマのポリフォニー」の環状島理論で、当事者に与えがちな絶対性を相対化する
https://wan.or.jp/article/show/9564#gsc.tab=0