【taboo持ち寄り会 vol.20 争い 20240615 】 イベントレポ文責:Aki iwaya、(後日堀江利昌さん分加筆予定

taboo持ち寄り vol.20 【争い】
2024年6月15日 (土)19:00-20:30@ぶんじ寮の食堂あたり

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【争い】
「争い」、と聞いたあなたのなかの反応したなにか。言葉になる部分とそうでない部分。
いや、いずれにも収まらないところ、あったりしませんか?
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参加資格:人は集まって話せる、と思う人&思わない人
持参:それぞれの1人称の意見やストーリー。その場で沸き起こったことを大切にする気持ち。

場のルール&イメージ:
・人の意見は否定しない…説教・アドバイスも不要
・話すことと聞くことは、同じように大切なこと...沈黙も大歓迎(ひと言も喋らなくても構いません)
・共感よりも、意見の出会いを重視したい…安易に肯定しない。肯定の雰囲気をつくるより、自分の内側に集中してみてください。
・「1人称」で喋ってみる…3人称(世間が、あの本の作者が、会社ではetc)で喋ると、ほかでもないあなたが喋る必要がすり減っていきます。自己紹介は要りません。

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るんるるん〜 あきです◎

参加者は7名。
中空を眺めるなにも起こらない時間。
外側から見るものがあれば、そう映った時間も多かったのかもしれない。
だが、この場に外側はない。
私には、考え、掴もうとする複数の手と時間の渦がみえる。
それぞれの思考の、動く音が充満していた。

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「争い」の定義について、
争いが二者間の相互に2本の線が行き交うとすれば、争いの反対は線が1本=一方的になるイメージ。暴力や虐待みたいな。
あるいは、争いとは摩擦。争いとは目的ではなくプロセスを重視すること。相手への期待と関係があるのかも。

ところで、よい争いってあるの?争いと話し合いは同じ?違う?
争いにルールはある?というか、争いが発生する条件はあるのかな?
無言って争いに含まれるの?、それとも争いの否定、いや相手の存在の否定では?受動的暴力という言葉もあるし。相手の存在に対する尊重が必要。

感情的になるから話ができないね、と言われるのは凄く嫌。
大人や男=理性や論理、こどもや女性=感情って決めつけイメージ、出所ふくめて、意味わかんないね。
嫌だから嫌、って自分は言うよ。
私は言えない。それで相手からとか、周囲から拒絶されるのが怖い。
そもそも争い自体が怖い。
だから争い自体が無いほうが自分はいい世界だと思う。そう、湖畔で1人で過ごしているようなイメージかな。

争い=プロレスなら、その反対は殺し合いだろうか?
争いって、合意を得るためにするもの?いや、争いは相手との関係の継続の為に行う行為で、結果を目的にはしてないな私は。
前提として、他人とわかり合えるわけではないとおもってる。たまにわかり合えたら、ボーナスゲットみたいな。だって自分自体が毎日変動していて、同じように相手も変動しているのなら、わかりあえるのってレアな瞬間だとおもうから。

感情と論理の関係に、対立や優劣は無いと思う。
理性や論理には体温がないかもしれないけど、それを行使する人間には感情がある。両者を掛け算で考えるなら、感情次第で論理や理性の効果や方向性なんていくらでも変わるでしょ。そのことに論理至上主義の人って気がついてるのかな。それとも、指摘したら気分を害したりして。
逆に感情至上主義者の人も、論理の人が感情を基にして論理を現実に適用しているという構造を見落としてたりしないかな。
つまりどちらの側にも、構造への理解が足りていない、盲点のような視角があるのかも。

争いをして後悔したことはない。けれど、争いを途中で止められたり、うやむやに回収(正論や数字の論理を使って、なかったことにされたり)されたことは、いまだにその相手の顔とともに覚えている。もしかしたら、自分の存在をないがしろにされたように感じたのかも。私の存在より、結論や場の安定が大事だと宣告されたような。

多様性という言葉の、理解を阻むための使用法(=まあ色んな人がいるから、これ以上考えてもしょうがない。で終わらせる思考法)に違和感がある。
争いは、娯楽だよ。もっと高精度に争っていきたいね。たとえば、対人メソッドで対応されてもすぐわかる。だから、とてもつまらないことをする人なんだなっておもってる。

最後に、この場で過ごしたこの時間は「争い」なのか?
それとも話し合いだったのか?という問いかけが出た。

あなたは、どう思うだろうか?なぜ、そう思うのだろうか?

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この会のルールは、場の発生とプロセスにどう影響したのだろうか?
あなたのいる場では何が起こるだろうか?
あなたは、あなたのいる場をいくつ持っているだろうか?

場を複数もっていたり、これから自分(たち)で創っていけるのなら、争いに関する「失敗」を怖れる必要が減るかもしれない。
あるいは、「成功」のバリエーションや定義の拡張を行える可能性が高まるのかもしれない。
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