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20年ぶりに和解して安堵した


私は20年前に別居して
その後、離婚しました。


元夫も犠牲者だったのかも
いまになってそう思うことが多い。


経済的には
何も困らない家に生まれ
外から見れば幸せな家庭に見えたことでしょう。


ただ、元夫も父親がすべて決める人だったから
自分で自由に選ぶ選択肢はまったくなく


学校から恋愛、就職、結婚、家や車を選ぶことまで
すべて父親の言うことを聞かなければなりませんでした。


元夫は父親が選んだ就職先が合わず、
やめたい辞めたいと言っていました。

それでも辞めるな。。
たとえ年収200万円になっても辞めさせるな。
私も義父からそう言われ

元夫は会社のストレスを家に持ち込まざるをえない
精神状態になってしまい。。
いつもいつもイライラしていました。
もちろん子育てに関わることもなく…。


息子2人、男の子だからじっとしていません。
よく喧嘩もするし、長男は不登校になるし


家族のことを大切に思う心の余裕もなく
息子たちも父親を避けるようになって…。
その後、私が病気になり
息子たちを連れて実家に戻ることになりました。


長男が就職して7年ほど経ったとき
「一度、親父に会いに行ってこようと思う」と
どうなるかと心配しましたが


元夫は息子たちとは
もう一生会うことはできないと思っていたから
とても嬉しかったようで
「お母さん大事にしてあげてくれな。」と


まさか離婚されると思っていなかったから
きっと後悔も大きかったのでしょう。


それから次男も
お兄ちゃんと一緒に会いに行くようになって
お嫁さんも紹介して。


最近、元夫は90歳の母親を引き取って
一緒に暮らしています。

息子たちに「もし嫌でなければ、おばあちゃんに
会ってくれないかな」と


息子たちはもちろん会うよ、と。
そして20年ぶりに
おばあちゃんと再会することができて


ぜんぜん変わらず元気そうで安心した。と
もちろん、おばあちゃんも喜んでくれて。


私のことを優しいお母さんだったと。
言ってくれていたよ。と


義母も夫が厳しくて
まったく自由のない人だったから

もちろん旅行に行くこともなく
友達と出かける自由もなかった。


義母も犠牲者だったんだと思う。
夫が亡くなって80代後半になって
ようやく自由になれて


と言っても娘がいるわけでもなく
友達もいないから寂しいと思う。


たまに息子たちが会いに行って
喜んでもらえたらいいな。


いまになって思うのです。
あのとき離婚を選んでよかったと。
息子たちと父親の関係は一緒に住んでいたら
いまのような関係になれなかったと思う。


息子たちにとっても、父親にとっても
おばあちゃんにとっても
穏やかな時間が持てるようになって
本当に良かった。


私はもう会うことはないけれど
息子たちは、血がつながったお父さんであり
おばあちゃんだからね。


離婚って一見ネガティブなことだけど
長い目で見れば、憎しみ合うことなく
またこうやって再会して良い関係が築けることもある。


私の母は離婚を選ばなかったけれど
ずっと父と憎しみ合う関係であるのであれば
離婚しないことがいいとは限らないな。


ひとつ言えるのは
支配欲の強い自己愛の親が家族の中にいると
穏やかで安心できる家庭は築けない。


誰もが自分の道を自分で選べる自由
お互いのことを尊重しあえる関係であれば
良い家族になると思う。
難しいことではないんですよね。


息子たちと父親の関係
ずっと心の中で引っかかっていたから
ほっと安堵しました。


maman♡

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