50年後の孫やひ孫のために
母方の祖父母は、とても優しい人でした。
学生時代も結婚の時も、家が経済的に大変で、母方の祖父が
金銭面で援助してくれて、本当にありがたかったです。
遠くに住んでいたから、会えるのは、年に3回ほど。
孫が16人もいたから、深い話はできなかったけれど
もっと、たくさん話しとけばよかったと、いまでも残念に思っています。
母方の祖父は戦後、仕事が上手くいかず、金銭面で大変苦労しましたが
その後、会社を起こし、自分の代で経済的に豊かになることができました。
一番困っていた時、助けてくださった方への恩は、一生忘れることなく
その後の人生は、困っている人にそっと恩送りができる祖父でした。
多くの方に信頼され、自分は贅沢することなく、自分のことはいつも後回しで
家族のしあわせをいつも考えてくれる、言葉数は少なかったけれど、愛情深い祖父でした。
若かりし母と、優しい祖父(90代)と、穏やかな祖母(80代後半)
写真が出てきたので!
母方の祖母の名前は「しずかさん」
その名の通り、穏やかで、静かで、怒ったところを誰も見たことがない。笑
腹が立つことないのかな〜と、不思議に思うほど、いつも優しい祖母でした。
父方の祖母は、こんな怖い人いるのかと思うほど、気性の激しい人だったから
本当に対照的なふたりの祖母でした。
優しい、しずかさん、93歳のとき。
家にいても、お化粧を忘れない、身だしなみは大切にする祖母でした。
母の兄妹は、みんな優しくて、穏やかで、いつも気遣いの人たちで
これまた、父方の兄妹とは対照的で、母の兄妹である伯父と伯母が大好きでした。
なのに、母方の伯父たちはあまり長生きできなかったのです。。涙
みんな遠かったから、会う機会も少なかったけれど、優しかった記憶だけが
いまも心の中に残っています。
優しい祖父母を育てた、その両親はどんな人だったんだろう。
母から聞きますが、母は末っ子で、生まれた時は、すでに他界していたから、
記憶もなく、ぼんやりと聞いたことしか知らないのですが
祖父の母親は(ひいおばあちゃん)賢くて、凛と穏やかな人だったそう。
親戚はみんな仲良く、争うこともなく、大家族で暮らしていたそうで、
祖母の両親も娘がひとりだったこともあって、大切に育てられたそうです。
争ってばかりの父方のほうとは大違いで、これはDNAなのかな?
小さいながらも、同じ人間なのに、こんなにも違うのかと、あまりに振り幅が
大きくて、小さい頃は混乱しましたが。。
ふと思うのです。50年後、100年後。
いつか生まれてくる、孫やひ孫たちが、私のことを、どんな、おばあちゃんだったんだろう、どんなひいおばあちゃんだったんだろう。と思う日が来るのかなと。
思わないかもしれないけれど。笑
どんな気持ちで、子どもたちを育てたとか、どんなことがあって、どんな気持ちになってとか、書き残した内容を読んで、ふ〜んと思うだけかもしれないけれど。笑
長くブログを書いていきたので、たくさん記事が残っているから、noteに書き残しておきたいなって気持ちもあって。
祖父の弟で、戦時中に亡くなった人がいるのですが、その人は賞もとる写真家
だったそうで、私の息子が写真家になったのも偶然ではないのかなと。
もしかして、自分を知るきっかけになるかもしれませんもんね。
「ファミリーヒストリー」3代先、4代先、5代先ってなったら、いったい
何人になるんだろう。笑
いまの時代だったら、残せる方法が、いろいろありますもんね。
noteに、長く長く残せたらいいんだけど。
ふと、母方の祖父母のことを書きたくなったのは、お彼岸だからかもしれません。
maman♡