例えばネガティブエネルギーをばら撒く人が近くに居る場合、その人にネガティブエネルギーをばら撒かなくさせるようにアプローチすることは、他人を変えようとする行為であり、実現は困難である。 その人から受けたネガティブエネルギーを、自分が変換器となり、ポジティブエネルギーに変換して、周りにばら撒ける存在になれたとしたらどうだろう。それは他人ではなく、自分が自分を変える行為であり、実現は可能である。 そして、そんな変換器となりえていること。そこにこそ自分の存在価値があるのだ。 ネガテ
人口が減り 経済が縮小し 力を失い 未来を失い 世界各国との競争に 圧倒的に負けたとしても 世界から見た日本は 人に危害を加えず 全員の気が弱く 戦わずに距離を置き 自分も良い状態ではないくせに それでも人に優しく 人に与え 周りばかり見て 決して自己中になり得ない 同調し 遠慮し どこまでもお人好し 騙そうと思えば簡単に騙せる 圧倒的に油断している なんとも珍しく なんとも珍妙な なんとも特殊な民族 珍妙だから面白い 珍妙だから魅力的 珍妙だから人気がある だから 日
会社の老兵が辞めない。 会社の老兵が儲かる。 会社の老兵にも子供がいる。 その子供が潤う。 その子供が子供を生む。 会社の老兵の家系が受け継がれる。 会社の老兵の家系は繁栄する。 会社の老兵が辞めないから、 末端の社員にお金が行き渡らない。 末端の社員は子供を作れない。 末端の社員の家系は滅びる。 優秀な者とその家系は生き残り、 優秀じゃない者とその家系は生き残れない。 優秀とは、 お金を集められる人の事だ。 お金を集められる能力が高い人の家系は、厳しい競争社会を生き延
一人では何もできないが、 ある人がいてくれるおかげで、 チャレンジへの一歩を、 踏み出すことができる。 一人では何もできないが、 ある人がいてくれるおかげで、 強制的にやらざるを得なくなる状況に、 身を置くことになってしまう事がある。 いずれにせよ、 私は行動できた事になる。 私はチャレンジできた事になる。 やった事がない事を、 やれる機会に恵まれたこと。 やった事がない事を、 やらざるを得なくなってしまったこと。 それはいずれも、 私の人生を有意義なものにする。
未来予知能力が高すぎる。 リスクが見えるからリスクを取らない。 未来が何も見えていない人は、 何の恐れもなくチャレンジできるだろう。 チャレンジし、やりながら学び、スキルを高めて行く。 どんどん成長していく。 リスクを恐れて何もチャレンジしない人は、 最終的に何も学べない。 あなたが高いと思っているその未来予知能力。 その未来予知は本当に正しいか? 頭の中で考えたことの中で、 現実に起こる事はそれほどない。 即ち世の中は、 『やった者勝ち』なのだ。 未来予知能力なんて、 いろ
自分の事を自分で決められる。 他者が居たら、自分の事を自分で決められないときがある。 その他者が、自分が自分の事を自分で決めることを許してくれれば決められる。許してくれない場合は、自分の事を自分で決められない。 子供は自分の事を自分で決められない。親の許しがいる。 親は自分の事を自分で決められない。子供のことが優先になるからである。 親と子の関係は密着しており、お互いがお互いのせい(おかげ)で、自分の事を自分で決められない。 一人であれば決められる。 誰の許しもいらないか
言うことを聞かせそうとしてくるだろう。 労働力を搾取しようとしてくるだろう。 コントロール(支配)しようとしてくるだろう。 個性を潰し、集団をまとめようとしてくるだろう。 わかってる。 当然である。 それが彼らの役割だから。 そうすることで彼らは得をするのだから。 我々はどうする? 反発する?戦う? 戦うことは疲れるな。 エネルギーを使うな。 柳に風と受け流す? 強靭な鈍感力。 できれば無駄なことに消耗はしたくないな。 生きている私たちは、 ただ生きているだけで価値がある
「若い時もっとお金を使ってチャレンジしておけば良かった。」も真実。 「若い内にお金を貯めておいたおかげで、歳をとった今安心して暮らせているから良かった。」も真実。 「歳をとってからお金が余っているからといって、豪遊してお金をたくさん使うことは、体力的にも気力的にもなかなか難しい。」も真実。 お金は使わないと価値がないも真実。 お金があれば安心だからある程度貯めておいた方が精神的に安定するも真実。 要するに、やりたいことをやる為にある程度お金を使うこと。そして同時に余裕を持
安心したい。 安心とは? 変わらないこと。いつも同じなこと。ずっと同じなこと。 変わることは不安。何が起こるか分からないから不安。ずっと同じなら安心。何が起こるか分かっていたら安心。 何が起こっても大丈夫なら安心。 何かが起こったら大丈夫じゃなければ不安。 お金があったら安心。 何が起こっても大丈夫だから。 お金があったら何が起こっても大丈夫? なぜ? お金がなかったら? ないのだから仕方ない。 仕方ないなら仕方ない。 あるから不安。 あるものがなくなる=変わる 変わるから
自分のペースに人を巻き込むテクニック。 自分の土俵で戦う。人の土俵で戦わない。 私がその人のペースに巻き込まれる必要はない。そんなことの為に生まれて来たわけではない。 私は私の心地良さを優先する。 相手が力で来るのなら、私はその力に対抗する。真正面から対抗するわけではなく、時にはいなしたり、時にはすかしたりしながら。 私の事が嫌いな人はまわりにいる。 そして私は、私を嫌いな人を好きにはならない。 私は私を嫌いな人を心地良くする為に生まれて来たわけではない。 私が生まれてき
私がまわりに与えられるもの。 私の労働力、私の知恵、私の知識、私の笑顔、人を楽にさせる私の言葉、人に刺激を与える(停滞した組織に一石を投じる)私の言葉、私にしか言えない私の言葉。 私が生み出すもの。それが誰かの役に立つ。それを最大限にする方法は、私が私を幸せにするということ。私の内なる声を無視せず、注意深く耳を傾けること。無意識からのその声に従って行動すること。その声に従えば、実は全てがうまく行くことを私は知っている。 私が変われば世界が変わる。 正確に言えば、私の見る方向
ベースは『ただ生きる』ということ。 生物は、 ①生まれる ②食べる ③排泄する ④寝る ⑤子供残す ⑥死ぬ それ以外ないじゃないか。 ヒトはそれ以外のことをよく考えるけど、それ以外って、結局「暇」だから。 上記6つが簡単に手に入るから。 上記6つ一生懸命にならなくていいから。 ヒトは「暇」だからいろいろ考える。 楽しいことならいいだろう。 でも上記6つ以外を考え過ぎて、 まだ生きれるのに死んでみたり、 ただの暇つぶしなのに、 暇つぶしに支配されてしまったり。 拒食
行動を起こす。 それは何の為? 欲望を満たす為? 行動を取る事によってのリスクは? 行動を取らなければリスクは無い? リスクは無いけど欲望は満たせない? 正しいと思う事をする。 正しくないと思う人と戦う。 戦えば その人は私を傷付けて来るだろう。 私は私の身を守る。 私は私が傷付く事を避ける。 戦う事で避けるんだ。 戦う事で私も疲弊する。 相手も私も疲弊する。 戦わなければ 私は私の身が守れない。 私は私を守りたいという欲望が満たせない。 『逃げる』という選択肢もあ
生まれる(誕生する)。生きる。そして死ぬ。個体で言えばそれで終わりだ。 全体で言えばどうだろう。私が死んでも世の中は終わらない。受け継がれていく。肉体の破滅と、別の肉体の復活を繰り返す。 死ぬ時に後悔する事の一つに「自分の生きた証を残しておけば良かった。」というのがある。死ぬ時に人は、何かを『残したい』という気持ちになるという。 私という存在のおかげで。 私という存在のせいで。 この世の中に何かしらの影響を与えた。 それはきっと、この世の中に必要な影響で、私という存在
何かを手放すと空いた隙間に別の何かが入ってくる。別の何かで隙間は埋まる。 例えばクローゼットを片付けて、その空間に物が無くなったら、その空間は『空気』で満たされる事になる。 空気は目には見えないけれど、ある種『物』であり、空気(空間)とは、酸素・窒素・二酸化炭素等の、水素原子や酸素原子がくっついてできた分子という『物』で隙間無く充満している。 人が一人死んだとしても、地球のどこかで誰かが生まれてる。 人類が滅んだとしても、別の何かが増えている。ウイルスで人類が減ったら、そ
人には思いやりを持って接しよう。人が嫌がる事はしない。人が喜ぶ事をする。人から奪わない。人に与える。人を満たす。人を幸せにする。 人を幸せにする為には、自分が満たされていなければならない。自分が幸せでなければ、人を幸せにする事はできない。自分が満足していなければ、人を満足させる事はできない。自分が満たされていないのに人を満たそうとする行為を『自己犠牲』という。自分を削って人を満たす。 人に貢献できた時、人は満足する。人を喜ばせる事ができた自分を好きになる。自己を肯定できる