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9月22日 父の命日

2016年 9月22日 未明 父は旅立った。
残念なことに父の死に目には逢えなかった。
しかし、(ふざけているわけではないが)父の病室を覗くと、目に飛び込んできたのは、父の尻目?だった。
看護師の方が父の体を拭き、お尻に詰め物をしている最中だった。
私は、思わず顔を引っ込めた。

父は肝臓がんだった。
2016年8月の初めに入院した。それは何度目かの入院。
今回は手術も検査も無い。父は死を迎えるために入院した。

その病院は、死を向かる人を入院はさせない。お金にならないからだ。
大きな総合病院で、父の入院した病棟はホテルのような個室。
窓から海が見える。最上階には遺体安置室と葬儀室がある。
全面ガラス張りの部屋からは海が一望できる。
そこには中国のお金持ちが手術を受けるために次々とやってくる。

そこで父が死を迎えられるのは、お金があったからではない。別の理由があった。その理由がなんであれ、父は死ぬために入院した。

父は入院する前に非常に状態が悪かったが、入院し、状態が少し回復した。もしかしたら、また退院して自宅に帰れるのではないかとさえ思えた。
それは、輸液により養分を得たことと、ろうそくの灯が消える前に、ぼっと燃える症状と似ていた。

その最後は、想像を超えるものがあった。
通常、モルヒネと水だけになると数日で亡くなると言われているが、父は口から飲む水と痛み止めのモルヒネの点滴で40日生きた。
そして、その40日間、父はおむつをせず、自分の足で立ち、簡易トイレに座り用を足した。

人は死ぬ行く時は、赤ん坊のようになる。
寄り添う私と姉は、一日に何度も、トイレと水を飲む作業を補助する。
水を飲ませることはさほど大変ではないが、トイレは赤ん坊のようにはいかない。電動ベットで上半身を上げ、体が倒れてしまうのを支える。
座った状態になった父の体の向きを変える。小柄な父ではあったが、大人の体を支え、便座に座らせ、そして用を足した父を立ち上がらせ、またベットに座らせ、体の向きを変える作業は、女一人でするのは骨の折れる作業。
トイレの作業は一日に何度も繰り返す。夜もおちおち寝ていられない。

姉と交代ではあったが、24時間父に付き添った。
モルヒネだけになると幻覚症状がでたり、モルヒネが効かず痛みに苦しむこともあると聞いていたが父は静かだった。

モルヒネと水だけになった、ある日。父は「俺は死ぬだな?」と言った。
何度も父は生死を彷徨う体験をしながらも、自宅に帰った。しかし、今回は帰れないことを父は悟った。私は、何も言えなかった。

父は酒を飲むと陽気になり、良くしゃべったが、普段は寡黙であった。
そして、寂しがり屋でもあった。
父は自分が家に帰れないことを悟ってから、ほとんどしゃべらなくなった。父の息は時に聞こえないほどに、弱く細くなっていった。

9月22日未明、父は、ガッと息を吐いて、旅立った。
最上階の海が一望できる絢爛豪華な遺体安置室で、姉と二人夜が明けるのを待った。凍えるように寒い遺体安置室から、グレーと黒の混ざった雲の塊とうねる波に朝日があたる。赤黒い朝明けだ。
美しいというよりも、火事の後にような恐ろし気な朝焼けだった。

太陽の日差しがあるのに、雨が降った。
狐の嫁入りならぬ、古タヌキの婿入りだ。
父が霊柩車に乗ると雨は土砂降りになった。
父の寝ている枕元の座席に私は座った。霊柩車に乗るのは初めてだった。
夜中に姉から連絡を受け、着の身着のまま家を出たので薄着だった。
雨に濡れた服が車の冷房で更に冷えた。身を切るような寒さで体が震えた。

病院から葬儀場に行くまでに、父の実家、父の暮らした家、父が自分で建てた仕事場である工場と父が30年近く育てた葡萄のハウスを回った。
雨は激しく降ったり、止んだりを繰り返した。

26年前の9月22日 この日も大雨だった。
テレビではオリックスが優勝しイチローが胴上げをされてる映像が流れた。
その時、私は体調を崩し起き上がれないでいた。
その体調の悪さはいつも大きな天気の変化を知らせていた。
この日の午後、近くの川が溢れ下水が逆流し、新築1年目の自宅は床上浸水となった。

今日、2020年9月22日も雨が降っている。雨と泥の匂いがする。
今年は、父のお墓の彼岸花はまだ、咲いていない。

4回目の父の命日だが、今年は格別な寂しさがある。
それは、母がいないせいだろう。
あと数日で母の一周忌だ。

大雨、洪水、泥、、、彼岸には泥を吸って育った蓮の花が咲く。
寡黙だった父は、今日はとてもおしゃべりだ。
「あんとんないさ」
「あんも、気にすっことないさ」
「無理することないさ」

寡黙な父は、実はとてもユーモアのある人でもあった。
修行僧のようなところもあった。頭のきれる人だった。
好奇心旺盛で記憶力が良かった。工夫をする人だった。
独立心が強く、良く働く人だった。骨太で大黒柱だった。
背骨の強い人だった。最後まで綺麗に始末して旅立った。

父の血が、父が私の血に体に、心に浸み込んでいる。。。
私の中に父が生きている。。。

それでも、やっぱり、まだ、寂しいものは寂しい。

2020年9月22日

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