「チーコ」が旅立った日
私が9歳の時、雌の子猫が我が家に迷い込んで来た。
「チーコ」と名付けた。
茶虎。愛らしい顔立ちをしていた。
私は9歳から21歳まで、この雌猫チーコの出産に立ち会った。
1年に2回、約12年間猫の「助産婦」の役割をした。
チーコは出産が近くなると私から離れなかった。
私は分娩の場所を整え、猫と呼吸を合わせ、生む瞬間にお腹を押した。
そして、子猫が生まれてから3日後、子猫たちは川に流される。。。
母猫は居なくなった子猫を探す、、、
切ない鳴き声を上げ、あちらこちらを探しまわる。
私は、チーコを抱きしめ共に泣いた。
チーコは、最後は子宮癌となり、手術を受け、
退院してから3日後、
1984年 11月22日
私の膝の上で息を引きとった。
チーコが死んでから、我が家には人間に捨てられ、
傷ついた犬や猫、小鳥がやってきた。
全て避妊と去勢手術をした。
形はさまざまであったが、最後の時を見送った。
「ありがとう」と言いながら、小さい命の呼吸に合わせ、
体をさすり、手を握り、そっと腹を押した。
私は小さな命の「助死師」として、
動物たちの死に立ちあう経験を何度かした。
「助死師」(造語)としての初めての経験は高校生の時、
母方の祖母の死ぬ瞬間を見届けた時である。
40年前、祖母は縁側で詩吟を歌いながら意識を失った。
7日間大きな鼾をたてた。
最後の瞬間は、倒れてから8日目、
私と祖母と二人きりの時であった。
かつて、祖母が寝ている私の手を摩り、
私を愛おしんでくれた事を思い起こしながら、
私は祖母の手を摩っていた。
祖母の息が少し荒くなり、、、
大きく息を吸い、「ガッ」と息を吐いた瞬間、
手がうなだれ、息が止まった。。。
それが、祖母の最後の瞬間であった。
そして、雌猫チーコに続き、
我が家に迷いこんで来た猫、犬、鶯、鳩の
最後の時に呼吸を合わせ体を摩り
「死んでも大丈夫。
見ているよ。
神様が迎えてくれる。
ありがとう。」と
言葉をかけ、最後の時を見送った。
人は一人で生まれ、一人で死んでゆく。
しかし、その傍らで、息を合わせ
見守る存在が居る時
生き生きと 生まれ
生き生きと 死んでゆく。。。
その傍らにいる 存在が
助産師 であり 助死師。
私が初めて 自らが 助産師であり助死師であることを
体験した11月22日
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