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9/26/2020 母の一周忌


2020年 9月22日は父の4回忌だった。
そして、4日後の9月26日は母の一周忌。

9月20日から1週間、力が出ない日々を過ごした。
雨が続き、部屋の中も外もいつもグレーに曇っていた。
寒いような、蒸し暑いような、はっきりしない空気が重かった。
体が重く、自分がべたべた歩いているのがわかった。

座り、眠ることで何とかこの連日の雨を過ごした。
書かなかった。いや、書けなかった。
母が亡くなった時も、父が亡くなった時、家が水に浸かった時も
書けなかった。

気持ちが言葉にならない。言葉が浮いてしまう。
気持ちと言葉のGAPに落ち込んで、眠るしか出来なかった。

今朝は晴れた。
ブルーの青空。
紫と白の細い細い糸で編み上げた空。

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母が倒れた日、病院のICUで洗礼を授けた。
母の洗礼名は「ルディア」(カトリックでは「リディア」)
使徒言語録に出てくる紫の布を売る商人の女性の名。
もてなす人、紫、布、商人、、と母と共通する点が多い。

母は紫が好きだった。
布。服が好きな人だった。
商人で売る人ではあったが、実は買うことが大好きであった。
そして、もてなす人。

デパートが大好きで、母は沢山の服と食べ物を買った。
帰りの電車の中で種分けをして、帰ってくるとすぐに近所に配った。
その配る役が私と姉だった。役回りとしては私の方が多かった。

母がデパートから帰ってきて数日後には大きな箱が届いた。
箱の中には沢山の服とお菓子が入っていた。
玉手箱を開けるような楽しみだったが、中身を出すうちに一気に気持ちが萎えた。中身は家族のものではなく、親戚や近所やお客さんのものばかり。
母は大量に食べ物を作り、デパートから送られてきたものと一緒に、近所や親戚の人に配った。(のは、私の役だった)
母が料理を始めると台所の隣の部屋は、いつも仕出し屋さんのようだった。
大量の弁当箱とプラステックパック、そしていくつもの大きな鍋が並んだ。

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昨年高校の同窓会があった。
20人ほどの同級生が集まった。話が急に私の母の話となった。
その席の5人が母の手料理を食べたと言った。
しかも、2人は泊まったこともあると言う。
5人とも突然に家に遊びに来たのに、美味しい食事でもてなされ、パックに入れたお土産までもらったという。泊まった2人も泊まる予定はなく、ただちょっと立ち寄っただけだったという。私は、全く覚えていない。。。

たぶん、それが日常だったからかもしれない。
家には、よく人が来て、夜遅くまで食べ、飲んでいた。
また父の営む工場で働く従業員の人達に母は10時に茶菓子、12時にお味噌汁、3時に茶菓子、5時にはお惣菜とビールを用意していた。

母は一日中、料理をしていた。母は人に買い物を頼んだ。
そのリストに書かれた品目と数は4人家族とは思えないほどの量だった。

この母に育てられ、さぞや料理が上手で人をもてなす人になったのではないかと誰もが思うが、全く逆となった。
もてなすこと、料理をすることは母の喜びであり「庭」だった。
私達、姉妹はその「庭」に入る事をしなかった。
母の「庭」は母の「聖域」だったのだ。
庭に入るには、母の苦手なかたずけをし、母に頼まれた買い物をしなければならなかった。
お陰で片付けと、頼まれたものを買うことは上手にできるようにはなったが、料理ともてなしには手を出さなかった。
姉と私の「親孝行」であり、また「親不孝」でもあった。

母から受け継ぐことが出来なかった母の得意料理のレシピ。残念だ。
しかし、一年経って、少しづつ気づき始めている。
私の中に母が生きている、父が、そして亡くなった愛する人たちが。。。

それを深く感じる事が出来るのは、日常の生活を淡々と過ごしている時だ。買い物をしたり、片づけをしたり、料理をしている時、ふと、共に居る母、父、愛する人を感じる。

そして1年経って気づいたのは、母の存在はあまりにも大きい。
人間の血管をつなぐと、地球1周ほどの長さになるということを聞いたことがある。(きちんと確認してはいないが)
それほどの長さの血管、そして臓器は母の胎の中で育まれたのだ。母の命から命を受け継いだ、その事実が今になって沁み出てきている。

姉も私も、母のレシピを思い起こしながら自分のレシピを作り始めている。
自分の庭を耕しはじめているのだ。
私の今日という一日のレシピはまずは書くことから始まる。

今朝は蜘蛛の細い細い糸と紫の雲の煙が織り交ざったような空だ。
母の苦手な掃除と洗濯にもってこいの陽気。

悲しさ、喜び、恨み、赦しも彼岸まで。
彼岸を超えて、新しい一日が始まっている。

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