猫になりたい -2- 犬から猫に
前回の-1-からのつづき。
猫ではなく犬寄り
大人になって「猫になりたい」と思い始めた私が、その前までは「犬になりた」かったかといえば、そんなことはない。
「犬になる」というと、「人に媚び売るイエスマンになる」みたいな意味合いもあるからややこしくなるが。
昔は「猫になりたい」とも「犬になりたい」とも思っていなかった。
思ってもみなかった。
でも、周りの人間関係を、自分も含めてようやく冷静に客観視出来るようになったとき。
大人になったとき。
「あぁ、私はどちらかと言うと、犬寄りな存在なんだな…」
初めてそう認識した。
-1-の中で書いた父の動物を飼うことに対する方針と、それに対する妹の行動、という観点からもわかるかもしれないが、そこに私は登場していない。
私は、父が決めた方針を、ただ従順に守っていたからだ。
もちろん犬や猫を飼ってみたいと思ったことは何度もある。
でも「悲しいから」。
父の意見は私の意見になり、何の疑問も持たず、素直に聞き入れていた。
単純に、その方針を覆してまで、絶対に欲しい、飼いたい、という熱意がなかったからかもしれない。
それよりも、父や母の気持ちに応えることに、どこか幸せを感じられる感覚があった気がする。
そういう観点からして、私は確実に犬寄りなんだな、と思えた。
だが、妹にはその熱意があった。
ただ自分が欲しいというだけでなく、ペット売り場の飼育カゴで不遇な立場の子を助けたいという気持ちもあった。
そして、それが飼ってもらうための策略ではなかったのは、それを横で見ていた私はわかった。
そういう意味では、家族の中では、私よりは猫的に思える立ち位置の妹も、やはりどちらかと言えば犬なのだろう。
私の周りにいる猫な人たち
私が猫だと思う人の特徴について話そう。
1・機嫌の良し悪しを、そのまま出してくる。
2・甘え上手の逃げ上手
3・なぜか憎めないキャラ
よくいう「ツンデレ」、「ギャップ萌え」満載なキャラだ。
小悪魔キャラというものも同じなのかもしれないが、小悪魔だと「人を陥れてやろう」界隈の影部分が多そうだ。
そこは本物の猫には見受けられないので、小悪魔と猫は違うものだと、思うことにした。
前回書いた通り、私は実際、猫を飼ったことはない。
猫を毎日身近で、本当の意味で感じたことはない。
だから、上に挙げた猫な人の特徴が、本当に猫のイメージと重なるのかどうか、わかってもいない。
世間一般的な「猫」のイメージに過ぎないかもしれない。
このときはまだ、漠然としたものだった。
とにかく。
犬寄りな私は、そんな猫さんたちと楽しく盛り上がって意気投合して上機嫌になり。
かと思うと、サッーと引いていく猫さんに、クゥーンと寂しくなってみたり。
ときには、意地悪されたり、追いかけ回され追い詰められて、相手するのも疲れるなぁ、と思ってみたり。
それなのに、困った顔、嬉しそうな顔をみると、もう、しょうがないなぁ~と思ってみたり。
そういう関係の繰り返しだ。
困っていたら、助けたくなる。
意地悪されて、もう知らない!と思っていても、どうしてだか嫌いになれない。
お人好し過ぎだろう、犬さん。
だから私も猫になりたい
犬と猫、どっちが楽なのか。
そういう流れから、私はそれを考えるようになった。
犬には犬の幸せ感が。
猫には猫の幸せ感が。
それぞれあるのだろう。
だけど。
それなら一度、猫になってみても良いのではないか。
うん。
私は今「猫になりたい」んだ。
いや、「なりたい」ではなく、「猫になる」のだ。
やればいいのだ。
そう簡単にはいかないもの
ただ、犬寄りの私が、単純に猫な人たちの真似をするだけでは、絶対に猫になんてなれない。
そう簡単にはいかないものだということは、分かっていた。
でも、最初は猿真似ならぬ、猫真似でもいい。
そう感じた。
猫な人たちの、犬とは違う「素直さ」、それを少しずつみつけた。
みつけては、自分なりに取り入れてみる。
そうしているうちに、なんとなく見えてきたこと。
自己表現と心遣い、そのバランスが自然に取れているのが猫だ。
そして、常に自分に素直なのだ。
真の猫になりたい
私が最初に「猫になりたい」「猫になる」と思い始めてから、わりと経つ。
家族という甘えやすい関係の旦那氏や、娘に対して、少しずつ私は猫になれている気がする。
人に対しての素直さとともに、自分に対しての素直さを忘れない。
そんなことを意識しながら、猫の着ぐるみを着ている。
私はあまり人見知りはしない。
知らない人でも、よっぽど怖そうな人でなければ、他愛もない会話は出来る。
話しかけやすいのか、近づくなオーラがないからか、よく道を聞かれるモブキャラだ。
本質はやっぱり犬寄りだ。
逆に、猫は警戒心が強い生き物だ。
初めての人にはなかなか甘えを見せない。
でも、それでいいのかもしれない。
甘えても良い相手、甘えられる関係を築けた相手。
それをしっかり見極められているということなのではないだろうか。
だから。
猫になるには、それなりの関係を築いていく必要があるのかもしれない。
時間をかけて、少しずつその人が見えてきたとき、初めて猫の本性を出せる。
そういえば「猫をかぶる」という言葉があったじゃないか!
猫は、最初から猫を押し出してきているわけではないのだ!
私が真の猫になるには、その人その人との付き合いの長さ、深さで変わってくるのだ。
最初は犬でも良いのだ。
とっつきやすい犬から広げて、猫みたいな犬になって、犬みたいな猫になって。
そうして真の猫になればいい。
うん。
まだまだ私は「猫になりたい」。
「猫になっていく」のだ。
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