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宿題ってなんのためにあるの?

昨日友人家族とBBQを楽しみました。

作業もひと段落し
まったりタイムに友人たちとの話題に上がったこと

「こどもの宿題がつらい…」

子どもの宿題なのに親の方がつらい。

世の小学生の親御さん皆さんが
思っていると思います。

友人のお子さんは「書く」ということに
ニガテ意識があり
漢字の書き取りがとにかく
ストレスだとのこと。

私たちは「書く」という行動を
ふだん特に意識せずやっていますが

その行動を私なりに分解してみました

・線を引くときの筆圧に気をつける
・全体を見てワクの中に形をおさめる
・書こうとしているものをイメージする
・時にはお手本を見くらべながら、適切な場所に線を引く
(お手本に視線をうつして戻る時に、
次にどこをかけば良いか
わからなくなる場合がある)
・漢字は「とめ、はね」などその漢字独自のルールがある

文字ひとつ書くだけでも
そこにはさまざまな要素がありますね

この中のどこかの要素につまづくことで
結果「書くのが苦手」
になっていることが多いので、

どこでつまづいているのかの見極めが
とっても大切。

文字を書くことを感覚的に深く考えず
できるお子さんもいれば

「読めるけど書くのが苦手」
「ひらがなはいいけどカタカナがわからない」
「小さな枠に書くとはみ出してしまう」

など
お子さんそれぞれに特性があると思います。

先ほど書いた「書くのが苦手」なお子さんに
友人がどのような工夫をしたのかというと

ゼロから書かせるのではなく
色ペンなどで漢字を書いてあげて
それをなぞるだけにする

というサポートをしてあげたそう。

なんとその結果、毎週行われる漢字で
書ける漢字が増えたとか!

この友人の適切なサポート
ほんとに素晴らしいと思いました。

私は専門家ではないので
なぜこれで漢字が書けるようになったのか
詳しい理論は分かりませんが

要するに


「宿題を出すのであれば
個々の能力や特性に応じた工夫が必要」


だということを
この話を聞いていて感じました。

もちろん、先生方の業務量はものすごく
宿題にまで個別の対応をすることは
かなりの負担になると思います。

親が毎回ケンカしながら
なんとか宿題をやらせるのも
とっても不健全。

だからさもういっそ

自分で工夫することが難しい小学生は
宿題は無しでいいんじゃない?

なんて…

「宿題忘れました」
に対する余計な指導も無くなるしさ〜
(余計とか言ってすみません)


でも宿題出さないってなると
先生が楽してるとか
家庭学習の習慣が身につかない!
ってクレームつける親とかが
出てきてしまうか…

まじで学校の先生は大変すぎる

こういう状況なので、
大きなテコ入れみたいな改革や
合理的なシステム作りが
なかなかできていかないのが
学校という場所なのでしょうか。

私は子供たちの教育に関してはこう考える方なので↓

たくさんの情報に触れられるこれからの時代

自分に何が必要で
どこを極めていけばいいのか

適切に取捨選択していける力を
つけさせてあげることの方が
大事なんじゃと思ってしまいます。

まあひたすら100マス計算をするとか
漢字の書き取り何ページとか
忍耐力は身につくのでしょうかね
あと人の言う事を素直に聞く力とか…?
家庭学習の習慣がつくとか?

私は学校って
いろんな価値観やいろんな人に触れ合うための場所だと思っているので
宿題はあまり重要ではないと思ってしまいます。


「自分はこう思う!」みたいなこと
ぜひコメントいただけたら嬉しいです!


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