4.「240柱以上のエローヒム(神/宇宙人)が地球に来て “ガン(Gan)”という15のバイオラボを設立しました。しかしカトリックは、それを“エデンの園”と訳したのです」「メドベッドとカタリ派 」(クリフ・ハイ道場: 2022/5/6)
Eriさんのサブスタック.ニュースレターより、「メドベッドとカタリ派 」(クリフ・ハイ道場: 2022/5/6) No.4を共有させて頂きます。
4.「240柱以上のエローヒム(神/宇宙人)が地球に来て “ガン(Gan)”という15のバイオラボを設立しました。しかしカトリックは、それを“エデンの園”と訳したのです」
「メドベッドとカタリ派 」(クリフ・ハイ道場: 2022/5/6)
この地球には240柱以上のエローヒム (ヘブライ語で “神”) が存在していて、彼らの15の “ガン(Gan)”は、そもそも “庭”とは訳されていなかったことが分かっています。
カトリック教会や一般の人々は “ガン”を “エデンの園”と訳していますが、正しくはこれは “E-DIN(エ-ディン)”と綴り、メソポタミアから肥沃な三日月地帯を経て、エジプトに至る地名のことです。
カタリ派は、自分たちの文明が北アメリカから来たことを知っていました。
カタリ派は実は、最初にバイオラボが設立された場所の一つである、ここ(北米)の中心部から来たのです。
エローヒム(神/宇宙人)が地球に来たとき、 彼らは15のバイオラボ (遺伝子研究所) を設立し、それを “ガン(Gan)”と呼びました。
カタリ派の理解によると、“ガン”は実際には “力場(電磁振動が接触していない別の類似した物体に力を加える輻射体の周りのスペース)”のような、周囲との関係を変化させる領域上にある“泡”のようなものでした。
そしてその “泡”は、”ガン(=バイオラボ)”全体をすっぽりと包んでいました。
しかしこれが、“エデンの園”などといった不適切な翻訳になってしまっているのです。
バイオラボ(遺伝子研究所)は、エローヒムが電磁シールドを張って空氣が入ってくるのを防ぎ、入ってくる光をフィターにかけることができる実験室でした…光はカタリ派にとって非常に重要です。
だからわたしたちは、メドベッドを理解し、それについて議論しているのです。
わたしの先祖の伝統では、600年代には…これはトラウマになるような出来事でしたが…カタリ派には、いわゆる “パーフェクティ(聖職者)”への道を歩んでいる、宗教的な意味で完璧な目を持つ人々がいますが、彼らには、知識を特定の方法で伝承することが要求されます…..それらは、基本的には“恨み”とされる概念です。
わたしは、家族のために “恨み”を抱いています。
わたしの父の家系は1100年代、母の家系は1200年代までさかのぼりますが…..わたしたちの仲間は、十字軍に襲撃されて殺されました。“南フランスのカタリ派の人々が 20万人殺された”と記録されていますが、全部が全部そうだったわけではなく、多くはスペインに移動し、わたしの母の一族は北の果てに移動しました。彼らは最初に攻撃された南部から移動しなければならず、結局、スペインを越えてポルトガルに入りました。そして、ポルトガルからアゾレス諸島に向かいました…ラ・パルマ火山があるところです。そして、そこからカリブ海に渡ったのです。
つまり、カリブの海賊はカタリ派の残党だったというわけです。
まあ、宗教とは言いたくないですね…..それ以上のものなので。これは “ライフスタイル”です。
カタリ派は本当に布教もしないし、人々を改宗させようともしないし…..そういったことはしないのです。
そして、ちゃんと働くことで、わたしたちは前進します。他の人が真似したければすればいいし、それはそれでいい…という感じで。
こういう思考は (トップダウンで教えを押し付ける宗教とは違い) 分散型なので、宗教の本質を覆すような改宗者が殺到する…なんてことはないのです。“宗教”というより “倫理観”です。“教義”自体がないから、宗教とは大きく異っています。
とにかく…カタリ派は、カリブの海賊になりました。わたしの母の一族は、カリブの海賊でした。 父の一族はスコットランドを出発し、ニューヨークを経て、アメリカの中央部へ移動しました。ところが数百年後、イギリスが彼らにひどく腹を立て、母の一族であるカリブの海賊を滅ぼそうとしました。
なぜなら彼らが、奴隷や香辛料をラム酒工場に運び込んでいるイギリスの船を襲っていたからです。
コロンブスのアメリカ大陸発見の20年後に、キューバでラム酒を生産していたことを思い出してください…1500年代初期...それ以前かもしれません。いずれにせよ、イギリス人がやってきて大粛清と大虐殺をおこなった時、カリブの海賊と呼ばれた母の一族はカリブ海から移動し、ルイジアナやミシシッピの川のデルタ地帯に避難したのです…..しかし、そこで追撃されることはありませんでした。なぜなら、彼らの船は喫水の浅い小型のものだったからです。これに対し、イギリス軍の大きな船は航行できず、当時のミシシッピ・デルタの巨大な複合地帯の航路標識も理解できませんでした。構造物もなく常に変化している荒々しいデルタでは、自分がどこにいるのかが常にわかっていなければ、ボートは泥の中に係留するしかなく、歩いて出られなくなり、そこで死ぬことになってしまいます。
とにかく、彼らはミシシッピ川を経由し、アメリカ中央部へ行きました。 そして、カタリ派の血を受け継ぐわたしの父と母の家族の歴史は、ここアメリカで作られたのです。
…ということで、中央アメリカの “ガン(Gan)”である、“オルメカ”から生まれた文明の波がカタリ派にはあった…というのが、彼らの理解です。
5.「新しい形の生命を創造して、それらを人間と交配させるためのバイオラボであった15の“ガン”のうちの第一号は、中央アメリカに設立されました」へ👇
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