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看護師さんとの出会い。

週末本や資料でぱんぱんになった本棚を整理しました。

私は昨年度まで看護学校の非常勤講師もしていました。

その学校は昨年度の1年生が卒業する時に閉校になる予定。私が担当していたのは1年生の授業だったので、昨年度で8年間続けて来たこの非常勤講師のお仕事も終わりになりました。

准看護士として働きながら、正看護師になる為に学校で勉強をしている学生さん達。夜勤明けで授業に出ることもあり必死に寝まいと頑張ってくれている様子に、本当にすごいなぁと頭の下がるおもいで授業を進めることもありました。

8年間に出会った学生さん達の一人一人のお顔が目に浮かぶ。

コロナ禍で忙しくされているんだろうか。皆さん元気にされているだろうか。


何度かnoteにも書いたことがありますが、私は中1の時に小児難病のネフローゼ症候群という腎臓の病気になり、高1まで毎年再発を繰り返し、入退院を繰り返していました。

高校生の頃、将来自分が何をしたいか。

「お世話になった病院に恩返しがしたい!」

でもうちは、いつもいつも人に思いやりが持てる訳ではない。お腹が空いたらイライラするし、悩み事があれば落ち込むこともある。いつもいつも笑顔でいられない。


入院中いつも笑顔で「カズコちゃんカズコちゃん」と可愛がってくれた新人看護師さん。彼女の名前も「和子」。彼女が病室に来てくれただけで、塞込んでいた気持ちは吹き飛ぶ。彼女の笑顔を見ていると、私も自然と笑顔がこぼれた大好きな看護師さん。


私が入院していた瀬戸内沿岸の斜面にある病院は、当時塩害被害が大きかった台風19号の被害を受けました。

真夜中大きな音で暴風が窓をバンバン・がんがん叩きます。

大きな雷も鳴る。稲光。。。ドッカ―ン。

怖くて怖くて耳を塞ぎベットで小さく丸くなっていた中学生の私。

病院は停電になり、水も止まり。

なかばパニックになっている高齢者の患者さん達。看護師さんは廊下をワゴンをおしてガラガラ・ゴロゴロ行ったり来たり。。。右往左往。


入院中、廊下で鳴り響く真夜中ワゴンの走る音。そんな時はいつも誰かの病状が悪くなった時で。。。暫くして患者さんのご家族のすすり泣く声。

私にとって台風の暴風や雷の音よりも、真夜中のワゴンが恐怖で。怖くて怖くて震えていました。


騒々しくて真っ暗な中、看護師さんの巡回。「和子」さんだったらいいな…。頭をよぎる。

「和子」さんではない看護師さん。。。

懐中電灯で照らされる。泣きながら震えていた私に全く声をかけず。冷たい目でただ見ただけで出ていった(ように感じた)看護師さん。

「看護師さんも忙しくて大変なんだから。仕方がないよ」と自分に言い聞かせる。


自然災害などの大きなトラブルが起きた時、自分に余裕がなくなった時でさえ、患者さんの気持ちを汲み取ることのできる、患者さんを思いやれる、そんな看護師さんに自分はなれるか?それが出来ないのであれば、患者さんを悲しい想いにさせることがあるかもしれない。そんな私が看護師になるべきではない。高校生の私は考えて考えて答えを出しました。


看護学校の非常勤講師のご縁は、病院に恩返しできるチャンスを私に与えてくれました。

患者さんの心模様。感じ方、気持ちのうつろい。

実際の手当や処置など物理的なケアだけに終始せず、そんな患者さんの心をもおもんばかった情緒的ケアの大切さ。自分の体験から語ることのできる。私の体験を看護師さんに役に立ててもらえるチャンスをもらえた幸せな8年間。

患者さんの命だけでなく、患者さんの人生、ご家族の人生にまで関わる看護師さん達の大切な大切なお仕事のお役に立てる幸せ。


今から30年くらい前の記憶。看護師の「和子」さん。今もどこかで患者さんの心も元気になれるケアを続けているんだろうな。

看護師の道には歩まなかったけれど、「和子」さんの笑顔に私が癒され病気に立ち向かう勇気をもらえたように、私も相手の心に響く情緒的ケアが出来る支援者になりたい。『今』を乗り切る勇気を。


少しだけ。続き。。。

「そうだ!病院を作ろう!」そう考えた私が選んだ進路は土木・建築。これはまた別のお話で…。






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