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解剖ののち、組み立てたい

今日は土曜日だけど子どもが学校だったので同時に家を出て昼近くまでひたすらスターバックスで本を読んでいた。
コーヒーのうまいまずいはよくわからないので、場所代としてコーヒーを買っている。二杯飲むこともあるし、軽く何か食べることもある。わたしが行くのはだいたい早朝の空いてる時間から、そろそろ満席になるくらいの時間帯なので、空いてるからまあ長居してもいいだろと思っている。ゆるしてちょ。

スターバックスのいいところは、照明とか、色合いとか、いけすかないタイプもいるが客層にそれなりの清潔感があるところ。これにノイズキャンセリングのヘッドホンをすれば、いつまでも本を読むことができます。言語化できないけど、わたしが集中できる要素が揃っているものと思われる。たまに香水がくさすぎるイケオジとか(香水がくさすぎるタイプの女性はスターバックスには来ないようだ)、MacBookでリモート会議のようなことを始めるやつ(これらがいけすかないタイプ)がいると、集中できないときもある。そういうときもある。

今日読んだ一冊目はこれ。

これ読んでたら、感動するエピソードとか同情するエピソードとかべつにないんだけど、急に涙が出てきた。なぜ!どうしたんだわたし!
共感できる部分がいくつもあって、無意識下でわたしの奥底が共鳴したのかなと思った。だとしたらおそらく、ポジティブな涙である。
このひとに比べて、わたしはギリギリなんとか社会に適応してしまった感じがある。ギリギリ、クビにならずにやってこれてしまったから、わたしはここにいるけれど、適応できなかったら別の道を見つけただろうなと思う。それは、こんな道なのかもしれないな。そしてその行動や感覚のゆえんを動物行動学の研究者である著者が、解説していて、めちゃくちゃ腑に落ちる。

そこでハッとわたしが知りたいのは、構造なんだなと思い至りました。事象があって、これってなんなんだろうと分解して、その本質を知り、組み立てて、だからこれはこうなんだってことを納得したい。だから、これってなんなんだろうと感じた事象でないと興味が持てないし、分解して組み立てないと理解できないから時間がかかる。つまり学校の授業は必要性や興味がないのでまっっったく頭に入らない。そのため何かを理解するための前提知識が乏しすぎて理解できなち。というアホのスパイラルに陥っていたけど、知的好奇心はそれなりにあることが40にしてわかったかんじです。
こうなると、ウチの会社の構造を理解すればめちゃくちゃ仕事しやすくなるんじゃないかと気づいた。けど、そもそもウチの会社で成し遂げたいことなど何もないので、そこに興味がわかないんだなということも納得した。これからもしやりたいことができて、それを達成するために交渉したりスピーチすることが必要であれば、わたしなりにそこをハックしようとするだろう。でもいまはその必要がない。なさすぎる…!!

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