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「水与水神」|第一章 水与水神|第一節 女媧理水

第一章 水与水神
第一節 女媧理水

<以下、抄訳>

盤古天地開闢神話以前、古代中国における創生神話は、「女媧」にあった。盤古神話が現れ、神話における女媧の位置づけは、盤古に取って代わられた。女媧は、古代の神聖女、伏羲のきょうだい、三皇の一人、大禹(夏王朝の始祖。治水で有名)の妻、王の母などともされ、その解釈はさまざまである。ここでは、治水や、雨水、霊石信仰にかかわることについて、触れる。

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人面蛇身、一日七十化。女媧様は、人の頭に蛇ボディ。
 <女媧神図 古今図書集成・神異典>

漢代以前、女媧は、万物を創造した女神とみられてきた。女媧の補天神話は「淮南子」に記されている。ここで注目すべきは、水害発生の原因である。王充大「論衝」と司馬貞「補三皇本紀」での扱いは、ほとんど同じであるが、天柱を折ったかどうかで、女媧の治水神話に違いが生じていることである。異なるのは、共工(中国神話の神。水神)による、不周山破壊の原因である。王充は、皇帝の不勝利、司馬貞は「共工と祝融(中国神話の神。火神)の戦」を縁故とした。共工は水の神で、祝融は火神、司馬貞には、水と火の神の対立、として書かれている。

共工は頭蓋骨で天の柱たる不周の山を倒し、天地の秩序を乱し、洪水が起き、人々は災難に見舞われた。その状況をみた女媧が、人類を救うために五色の石を以て、天を補修した。女媧が天を修復したのに用いたものが五色の石といわれるが、これが、神話のなかで何を象徴するのか。神話研究者からは特段の解釈は出ていない。「路史」の記載によると、宋代以前、その石は「赮」とよばれ、日の出と日の入りの彩雲であるとされた。筆者は、補天神話における五色石は、天にかかる虹と考える。雨の後にきらめく五色の虹を、女神女媧が天を修復するために用いた石である、と、古代の人々が解釈したのではないか、と。五色の石(玉)思想は、不死の薬、天地鬼神への祭品として、生殖、霊石信仰、女媧神話とも密接に関わっている。女媧と石の関係には、補天神話の他にも、石の中に子を成した伝説もある。

禹が塗山を娶ったときに、塗山氏が石となり、石の中に三つの神話が生まれた。禹の妻である塗山は、女嬌、女趫、女憍などとも呼ばれる。「世本」では「塗山氏号女媧(塗山氏は女媧という)」とあり、禹の妻が女媧であることは疑いない。女媧神話と禹神話が結びついたのは、治水神話によるものばかりでなく、石にもその原因がある。禹の妻が石となり石の中に子を産んだ神話伝説のみならず、夫たる禹も、石に生まれたとされるからである。

女媧が人類の婚姻制度をつくったとされる媒神(仲を取り持つ神)神話は、女媧が人をつくったという神話と一致している。もとより媒神は、子を授ける神であり、太平洋文化圏の民族はそれぞれに、石を、生殖の女神のシンボルとした。中国では、女媧が人をつくり婚姻制度を始めたという媒神神話をみると、中国各地の拝石信仰が、女媧神話とむすびついて出来たものとわかる。

女媧が黄土で人をつくった、という神話と、ヤハウェが土で人をつくったという神話はとても似ている。ヤハウェは土で人形をつくり、息を吹き込み、人は命を得た。同じように動物や鳥も土からつくられ、イブと呼ばれる女は肋骨からつくられた。中国では、女媧が土で人をつくるが「黄土でつくられた人は富貴、縄を引いて出来た人は貧賤である」といった神話の思想は、中国民族性に一種の宿命的観念にみることができる。富貴貧賤は、神に決められたものであり、運命は、逃れられぬものである、という考え方である。一方、「創世記」では、人類の歴史は、定められた運命に抗うことから始まっている。命を与えられた人間が、エデンの園を追放される。
これらの造人神話には、「土から生まれた」というところは同じだが、潜在的に、民族の原始思想に差異がある。

石と古代の雨乞農耕儀式において、古代中国にも、その他の民族と同様に、人形の石像がつくられ、雨乞いのシンボルとなり、水神と雨神の女媧神話には、雨乞/雨止めの信仰についても書かれており、漢代には、女媧が雨神信仰にかかわるものとされた。このように、補天、治水、万物創造、また、人をつくる、婚姻をつかさどる、雨乞、子宝等、中国古代神話において、女媧神話は、母性を備えた古代神話へと少しずつ変化してきたことがわかる。

(「水与水神」P4-10)

メモ|戦いに負けて怒って山に頭ぶつけて壊すっていうのもやばいし、石に子を産むというのもやばくないか。とおもいながら先が気になって仕方ない。

(つづく)

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