見出し画像

「水与水神」|第四節 黄泉之水

<抄訳>

馬王堆漢墓は、近年の考古学史上最大の発見である。二千数年前の軑侯夫人の遺体がおよそ完全な姿で残っていたことは、医学研究において話題の中心となった。墓からは、絹織、竹筒、楽器、漆器、木桶等が出土し、中国漢代の歴史、社会、文化、芸術についての、大変価値のある根拠となった。

馬王墓は、長沙東に、1971年の医院工事の際に発見された。発掘は1973年1月から始まり、4月にはすべて掘り出された。7月の発掘報告で、正式に、世界に向けて報じられた。

筆者が注目したいのは、副葬品の「帛画(はくが)」である。この帛画は、棺にかけられるものとみられ、全長205㎝、上幅92cm、下幅47.7cm(いわゆるT字型)。精緻で色鮮やかで、朱砂、石青、石緑などの顔料が用いられ、画の内容は上中下の三段に別れ、天上人と地府の神話である。

画像1


上段の天上神話では、右上に1つの太陽、そこには二本足の黒い鳥、その下には扶桑の木、扶桑の枝の間には8つの太陽。左側の上には月、月の中にはヒキガエル、兎、また月の下には、月に向かって飛び立とうとする嫦娥、日と月の間には、人の首に蛇の身体の像、左右には7羽の鳥で、その鳥は鶴のような長い首をもつ。左右には、それぞれ大きな竜、左の竜には翼があり、右の竜には翼はなく四本の足がある。人の首に蛇の身体の像の下には、また二匹の竜、図があいまいなため、詳細は確認できない。天には馬が二頭、馬には黒色の獣が騎乗し、その下には二人の神が対座し、背面には、黒斑をもつ赤い豹(或いは虎)が控える。

中段は人間界で、老婦人は杖に支えられゆっくりと歩く。老婦人の前には二人がひざまずき両手を掲げ、老婦人の背後には三人が傅く。老婦人は白色の台に立ち、その下には、二匹の黒豹、さらにその下には二柱の神、人の首に鳥の身体、発表では、この帛画の主題は、埋葬者の生前の暮らしぶりであるとされ、人物の姿も自然に描かれている。

下段は地界で、海中には、巨大な二匹の魚、魚の上には白い大地、七人が酒を飲み交わし語り合っている。その下が幽冥地獄で、巨人の左右には大蛇、右の蛇は、赤い首に白の身体、左の蛇は黒の首に赤の身体、別の蛇もこの二匹の間に横たわっている。巨人の左右にある蛇の傍らには大亀があり、黒の足、白の背中、蛇の尾を持つ。亀の背には、赤い足の鳥が一羽立つ。巨人はその足で二匹の大きな黒い魚を踏みつけ、その大魚の左右には、狼或いは犬にも似た、白い身体に白い尾、長い耳を持つ獣がいる。

海中に魚には、巨人が立ち、蛇を操り亀を遣わし、それは、二匹の蛇を耳かざりとする、禺彊(ぐきょう)に間違いない。禺彊は、海神、雨神、且つ主刑殺で、神話における幽冥の王である。ギリシア神話の巨人アトラスにも似ている。帛画に書かれた幽冥地獄は、<山海経>に記載された「海之内、有山名日幽都之出…(北海に日幽と言う名前の山があって、黒水が出て、そこには元鳥、元蛇、元蛇、元豹、元虎、元狐蓬尾が住み……)」という内容と、ほぼ一致している。ゆえ、この絹絵に描かれたのは、<山海経>の幽冥を描いたものとみることができよう。

画像2

大亀が地を背負うのは、<列子>にある「乃命禺彊使巨鼇十五舉首而戴之(禺彊が大亀15頭に命じた)」とも整合する。絹絵の大亀は背中が白く、首が赤く、尾が蛇のようであり、それは<山海経>にあるように、大亀は元亀であり、「蛫(き)」と呼ばれ、また北海幽冥の海にいる大蟹でもあるとされる。敦煌の文献には、海の神亀についての記述もある。

絹絵の二羽の鳥が二頭の亀の上にあることは、敦煌写本の「雨鳥共相随」の記述にもはっきり書かれている。周一良は、「雨」の字が「両」の字の間違いではないかと解釈したが、敦煌写本の神亀故事は、古代インドで大衆の経験と知恵からうまれたもの、から、仏教徒がその教えの影響をうけて変化してきたことは確かである。長沙漢墓(西漢武帝以前)の絹絵は、敦煌写本の故事が、インドから仏教が入って来るより以前の、中国にもとよりあった古代神話であり、雨鳥は幽冥の雨を司る鳥で、「両」鳥の誤記ではない。

絹絵の、人面で鳥の身体をしたものは、<山海経>にもみられるのもので、禺彊も、人面に鳥の身体をもつ。雨師も、また人面に鳥の身体であり、雨を司る神、或いは、風の神と考えられ、<山海経>の北方大海の中に描かれた諸神にも、九鳳の記載がみられる。

― 大荒之中、有山名曰北極天櫃、海水北注焉、有神人面鳥身、名曰九鳳 ―(大荒北経)

北極点の海水は、積雪で千年も日の当たらない場所にあるとされる。九鳳は大鳳で、鳳凰は神話における風神の風鳥とされる。また大蛇の記載は<山海経>にも多く見られ、絹絵にも大蛇と思しき形状のものが描かれている。

馬王堆漢墓の帛画の幽冥神話と<山海経>他を照らした結論は、以下の通りである。

① 西漢以前の中国人は幽冥地獄を北方地底の大海の中にあると考えた。
② 幽冥地獄は巨人が両手で支え、地を支える亀があり、地上と地下の交わる箇所では、豹や亀等の獣がその入口を守っている。 
③ 幽冥の巨人は海神禺彊。即ち雨師。
④ 幽冥地獄の豹、怪鳥、大魚、人面鳥の神は<山海経>と同様である。 ⓹ 西漢以前は白色が大地、黒色が幽冥地獄の象徴であり、白色は太陽が人を照らすことを意味し、幽冥大海の地獄には、永遠に日が当たらず暗黒であることを意味する。
⑥ 地獄にいる「地狼」は犬の姿で、ギリシア神話のケルベロスと類似、大地を支える禺彊はアトラスと似ている。
⑦ 絹絵の神話と<山海経>の内容はおよそ一致しており、山海経は中国古代神話書として、後世の創作ではないものと考えられる。
⑧ 絹絵の、亀の背の鳥は敦煌写本内「雨鳥共随之」のルーツで、「海中有神亀」とする中国古代神話に基づく(インド由来ではない)ものである。 ⑨ 中国西漢以前の幽冥神話と仏教伝来以降の地獄観は異なる。仏教伝来前の地獄思想は神話の概念に基づき、以降は宗教観念に基づくものとなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?