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宇治・十三重石塔は傑作なのでは

 ただし!見ないで書いてます。平等院には行ったけど、完全に見落としています。十三重石塔はそんな存在ですが、調べてたらけっこう面白くて、野外彫刻の歴史を考えるうえで、無視できないような気がしてきました。鎌倉時代の石工集団の伊派についても触れてないので、なんとも中途半端な記事ですが、残しておきます。

宇治・十三重石塔の存在感


 宇治川の中洲にある十三重石塔は、現存する古い石塔としては最大級のもので、高さは15メートル以上あるという。鎌倉時代後期の1286年(弘安9年)に建立され、江戸時代中期の1756年(宝暦6年)の大規模な洪水により川底に埋没するまで、470年間、倒壊と復興を繰り返しながらも、宇治川に存在してきた。現代、特に1980年代以降、野外彫刻やパブリックアートと呼ばれる立体造形物が、行政主導で公共空間に盛んに設置されてきたが、彫刻の歴史や公共空間の造形物の在り方の変遷を考えるとき、仏像ばかりでなく、宇治・十三重石塔のような石塔の存在を忘れてはならないのではないか。この石塔が公共空間においてどのような役割を果たしたのか考察してみたい。

 宇治・十三重石塔は、1756年(宝暦6年)の大洪水により倒壊した後、再建が試みられるもかなわず、現在の姿に復興されたのは、150年後の1908年(明治41年)であった[1]。やがて1912年(明治45年 )には、島に喜撰橋がかけられ、十三重石塔を間近に見ることが可能となり、現在は観光名所となっている[2]。1953年(昭和28年)3月31日に「浮島十三重塔」の名称で国の重要文化財に指定されており、宇治市ウェブサイトの文化財一覧によれば、塔内に納められた物品も、2003年(平成15年)3月14日に「浮島十三重塔納置品」の名称で、京都府指定有形文化財に指定されおり、一括で京都国立博物館に寄託されている。

 形状は、石塔のなかでも層塔または多層塔と分類されるもので、名称どおり、十三枚の屋根が重ねられている。上にいくにつれてやや大きさが小さくなるものの、全体としては下層の太さを保ったまま上に真っ直ぐ積み重ねられているため、大地に立つ安定感より、天に聳える直線的な力強さが強調されている。屋根と屋根の間隔は比較的狭く、均等で連続性がある。軸にも屋根にも、装飾などの特徴的な表現は見られず、一枚いちまいの屋根の四隅にそりが施されているのみであり、エッジが際立つよう角がしっかりと彫られているうえに、線に歪みがないため、非常に端正で完成度の高い印象である。軸部の初層はほぼ立方体のような形状で、各面に力強く且つ伸びやかな薬研彫りで梵字が刻まれており、仏あるいは仏教の存在が明示されるとともに、基礎に刻まれた銘文には、石塔が宇治橋再建の記念碑であることが記されている[3]。

 屋根も柱も横幅の尺がはっきりとしないが、1メートルは有に超えていると思われるので、石材が花崗岩だとすれば、控えめにいっても全体の重量は35トンはあることになるだろう。ほぼ同時代の1292年(正応5年)に庶民の参墓として作られた木津惣墓五輪塔は、3メートルを超える石塔で、同じく国の重要文化財に指定されているが、分解できるとはいえ、宇治・十三重石塔はそれを遥かに凌ぐ高さと重量を誇っている。

 硬い花崗岩を加工する技術、建立に伴う土木作業などに、熟練の職人の存在が感じられるのは言うまでもないが、橋や堤を整備する工事とは異なり、供養塔や記念碑の建立には、それが地域でどのような心理的役割を果たすか考慮したであろう点において、都市デザイン的な視点を持つ指揮者の存在がうかがえる。

 宇治・十三重石塔の建立は、西大寺の僧叡尊(1201年~1290年)によるものとされている。叡尊は、公家や武家にとどまらず、民衆からも信頼された僧で、様々な社会事業を行った[4]が、末法思想が広まる社会で、仏教の戒律に厳しく、殺生を禁じた人物である。宇治川においては、宇治橋再建の工事に伴い、網代漁を禁止するとともに、漁具を没収し、石塔の下に埋めたとされている。よって石塔は宇治橋の記念碑であり、魚類の供養塔であるという紹介が観光案内文などでなされているが、むしろ殺生の禁止、漁の禁止、さらには叡尊が進める戒律の復興を示すためのシンボルだったのではないだろうか。そうであればこそ民衆は、川を渡り石塔のそばに寄って祈る必要はなく、石塔はその大きさ、力強く垂直に伸びるデザインによって、仏教の戒律の存在を知らしめるものとして機能したと推察することも可能なのではないか。

[注1「意外と新しい塔の島の十三重塔」『No.003 宇治市政だより』2010年6月15日]
[注2 若一光司「喜撰橋」『京阪沿線の名橋を渡る vol.24』2017年12月]
[注3 馬淵和雄「律宗と石造物」松尾剛次編『持戒聖者 叡尊・忍性』吉川弘文館 2004年12月1日]
[注4 かこさとし「暮らしをまもり工事を行ったお坊さんたち」土木の歴史絵本第1巻 瑞雲舎 2004年5月10日]

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天ヶ瀬ダム

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