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対人恐怖症の克服は「無理しない事」。でも勇気をもって行動しよう!

学生のころ、じぶんは少し対人恐怖症的なところがありました。普通のかたなら何でもないようなことで挫折した経験があります。

いまも完全に克服できたとは言いませんが、ひきこもることなく働き収入を得てなんとかやっています。

今回は自分がどのくらいの対人恐怖症だったのか?どういった過程を経てなんとか社会人としてやってこれているのかを話したいと思います。


どのくらいの対人恐怖症だったのか?

学生のころ自分はすこし対人恐怖症的な性格でした。(いまもあんま変わらんけどw)小学生~高校生くらいまでは、本当に気の合うメンツとしか話をしない状態で、いわゆる「イケてないメンバー」でした。だから毎日話す相手は数人程度ですし友達はすくなく限られたひととしか話さなかった。

印象深いのは小学生の頃だった。

あるとき家庭科かなにかの授業でグループ分けをして、そのグループで食材を持ち寄って料理をつくるという授業があった。

なぜかその時だけいわゆる「イケてるメンバー」から一緒にやろうぜってお誘いがあった。すこしうれしかったですね。クラスの中心的なメンツから仲間に誘われて。

でも徐々にその家庭科実習の日が近づいてくると、誘ってくれたメンツからなにも話してかけてくれなくなった。しかもまるで「え!? おまえ同じグループだっけ?」みたいな扱いされていた。

そしてもうグループ分けは終わってて今更ほかのグループへはいるのも無理そうという状態。

結局、ずっとその「イケてる」グループに入っているのか違うのかよくわからない状態で実習当日を迎えた。

そこで自分が出した答えは、体調不良で当日学校を休むという選択だった。元気そうなのにいきなり頭が痛いから休む!って親に行ったときはさすがに親もすこし不思議に思っただろう。

後日、担任の先生に呼び出されましたねw「おまえ、どこのグループにもはいってなかったのか?なぜ言わないの?」って。まあその時はじぶんは適当なこといってごまかしましたけど。意地悪されたように自分が実感するのと先生に知られるのが嫌だったのでしょうね。

思い返してみると、その出来事がきっかけでひとの顔色をうかがってしまう自分の性格が形成されていったのかもしれませんね。その後の学生生活でも対人恐怖症の性格は続きました。

そして社会と接する機会が多くなった大学生でもある挫折をします。

大学生のころは親元をはなれ下宿生活をしていました。いわゆる大学生寮みたいな感じのところでした。

自分の部屋はあるが、トイレ風呂共同。ごはんは平日の朝と夜は寮のおばちゃんがつくってくれて寮の食堂に好きな時間に食べに行く生活でした。風呂なんかは狭いので2人同時に利用するという状態でした。

対人恐怖症の自分は風呂も飯も人がいない時間帯をねらって一人で利用するという生活をずっと4年間してました。ヤバいですよねw 自分で言うのもなんですが、これ完全に病気です。

いま思い返してこの記事書いているだけでも自分のヤバさに涙が出てきます。「悲しすぎ」てですがw

また本来であれば親元を離れて下宿しているのですから、アルバイトなどして自分の趣味や学費を稼ぐのが当たり前でした。

でも自分の場合には対人恐怖症という側面から社会と関わるのをずっと避けていました。大学の授業にはでるけど、あとは自室に引きこもり状態。

本来であればここで思い切って外にでて社会経験を積む努力をすれば人生が変わっていたかもしれません。でも「タラレバ」いってもどうにもなりませんね。

だから友達もあまりできませんでしたし卒業するころにはみんなと疎遠な状態になっていましたね。今思うとそれでも仲良くしていた数名はいたから、その人たちとはもっと仲良くしておけばよかったと後悔しております。

一番きつかったのは就活

そんな学生時代を過ごしていたので当然就活は大変でした。自分たちの時代はまさに超就職氷河期時代!ただでさえ就職するのが困難な時代に、こんな対人恐怖症気味なやつはどこの会社にも入れませんよね。

しかも、学生時代は引きこもりに近い状態で何もやらずに、ぐうたらでぼんやり生活していただけのダメ学生。

会社訪問や面接なんかも対人恐怖症で怖くてすっぽかしたここも多数ありました。今にして思えば本当に情けない話でした。

当然、どこにも就職できずに親元にもどってきました。そこからは1年くらいは就職浪人。浪人といえばなんとなくかっこいいが、結局のところニートですね。


対人恐怖症を少しずつ克服できてきた過程

こんな状態の自分でしたが、現在はキチンと働いて収入をえて生活できています。今の会社に入ってもう20年近くになります。会社での出来事でいまだに対人恐怖症的な場面になることもありますが、何とかやってこれました。

学生時代の自分は本当に情けない状態でした。それでもずっと引きこもらないで社会に出ていけたのは、両親のおかげでもあります。

特に父親は自分が無職のときには熱心に息子に会いそうな仕事の求人広告をさがしては「これ応募してみろ!」っていって背中を押してくれました。いまの会社も父が推してくれたものです。

そんなこんなで今の会社にはいったときのことは鮮明に覚えています。現在の会社に入る前に勤めていた会社は約2か月で辞めてしまっていました。営業的な要素のある仕事でしたがまったく思い通りにできずに挫折していました。

だから今度は「この会社で一生ここで頑張って働くんだ!頑張るぞ!」って気持ちで入社したのをいまだに覚えています。

本当にずっと働けるかはわかりませんでした。仕事が出来なくてクビになるかもしれませんし、今までと同じように対人恐怖症で辞めてしまうかもしれませんし。

それでも気持ちだけは一生ここで頑張るつもりでチェレンジしよう!と決意していた当時を今も覚えています。

だから入った当初のこの自分の決意があったために仕事に積極的に接することが出来て少しづつ自分に自信が持てるようになりました。

また当時の自分の指導係の先輩がやさしい方で、仕事を丁寧に詳しく教えてくれてよく面倒を見てくれたのもこの仕事を続けることができた要因の一つだと思います。

仕事終わりにご飯連れて行ってもらったり、色々と気を使って職場になじめるように配慮してくれていました。

いまはその方はもう退職されていますが、その先輩がいなかったら20年も同じ会社に勤められていたかはわかりません。


無理はしない事。でも行動はしていこう!

ひとと接することが怖いと感じる方はいると思います。でもその恐怖から逃げてばかりではいつまでたっても自分を変えることはできません。

ただし、自分のマイナス要素を深刻にうけとめて、できない自分を責めすぎるのもよくないことです。責めすぎることで逆に動けなくなることがあります。

「どうせ自分はだめな人間だ」「どうせ自分のことを理解してくれるひとはいない」「環境が悪い」なんて思考回路になってしまうとよくありません。

自分で自分を追い詰めてしまうといいことはありません。だから無理はしないこと。

でも甘えてそこで自分の殻に閉じこもっていないで、失敗を恐れずに行動をおこすこと。行動を起こしているうちに自分に合った環境に巡り会います。

その時にはその環境そして自分を後押ししてくれる人たちに感謝の気持ちを忘れないでいきましょう。

人生100年時代と言われています。遠回りしたっていいじゃないですか?ゆっくりでも前を見て進んでいけばいいじゃないですか?

自分を見つめなおし、自分にできることから始めてみましょう。何か自信につながることができたならば自分を変えることが出来るかもしれません。

それを見つけるためにはどんな状況であっても、歩みをとめずに行動していきましょう。無理はせずに!










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くりくりきんきんとん
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