【連載】運命の扉 宿命の旋律 #13
Scherzo - 諧謔曲 -
翌日。
ニ学期の終業式だったが、稜央は学校に来なかった。
萌花は昨日の出来事が何か関係あるのかと思い、戸惑った。
一日中、何度も空になっている彼の席に視線が行ってしまう。
いないのに。いないってわかっているのに。
おかしいよ。昨日のキスも、おかしいよ。
* * *
終業後。
萌花が帰宅しようと昇降口を出たところ、稜央が校門にもたれるようにして立っていた。
ハッとして萌花は立ち止まる。
夏の休日もそうだったように彼は黒づくめの私服だった。黒いタートルに黒いパンツ、コートは学校指定の紺のPコート。
休んでいたのに突然現れる稜央。
昨日のキス。
萌花はどんな顔をしていいかわからなかった。
しかし稜央は「川越」と呼びかけ、こちらに近づいてきた。
目の前まで彼が来て、萌花はその顔を恐るおそる見上げた。
いつものように、無表情だ。
けれど瞬時、彼の瞳には何か感情があるようにも思われた。
「か、川嶋くん…どうしたの? 今日休んだから、どっか具合悪いのかと思って…」
震える声で訊くと稜央は
「ちょっと話したいから、駅まで一緒に行こう」
と言う。
「え、でも川嶋くんの家は駅の方じゃないよね?」
いいから、と稜央は歩き出した。
萌花は慌てて後を追った。
しらばく無言のまま、並んで歩いた。
話したいことってなんだろうと思うものの、それよりも稜央が自分のことを校門で待っていてくれたことが、少しだけ萌花を高揚させた。
両手をポケットに入れて歩く稜央の肘を摑んでみたい。
萌花はそんな憧れを思い描きながら、稜央の半歩後ろを歩いた。
ようやく、というタイミングで稜央が口を開いた。
「昨日、小学校5年の時、兄貴が自殺したって言ったよな」
「うん…」
「俺はその頃、母親の旦那から虐待を受けていた」
「え…?」
萌花は絶句した。
お互い過酷な小5だったな、と稜央は嘲笑した。
「母親の旦那って…つまり、お父さん?」
「父親じゃない」
「どういうこと…?」
「他人ってことだよ。わからないのか」
稜央は苛立ちを見せた。
「他人? 昨日話していた、妹のお父さんってこと? 川嶋くんの本当のお父さんは…」
「知らないって言っただろ」
「本当に会ったこともないの?」
「ないよ。生まれた時からいない。母さんと俺のこと捨てたんだと思う」
「捨てたって…」
「とにかく何も知らない。興味もない。どうでもいいんだよ」
苛立ちが増したように、そう吐き捨てた。
「そんな…」
稜央が血の繋がらない父親から虐待を受けていた。
自分が苦しんでいたあの時と、同じ時期に。
そして本当の父親を全く知らないという。
「…どうして私に話してくれたの?」
稜央は黙った。
どうしていつも肝心な時に話してくれなくなるの、ともどかしくなる。
「川嶋くん、いつも答えてくれない」
思わず口にすると、少し驚いた様子で稜央は萌花を見た。
「私にとって肝心なこと、いつも答えてくれない。黙っていなくなっちゃったり。ずるい」
「お前にとって肝心なことでも俺には肝心じゃない」
「矛盾してる! 今日は川嶋くんが話したいことがあるって言ったんじゃない」
「俺の話は済んだ」
「一方的過ぎるよ! 私のことも聞いてよ」
「昨日土手で聞いただろ。だから俺も話したんだ。それでおあいこだよ」
「じゃあ、どうしてキスなんかしたの!?」
稜央は瞬時に顔を強張らせた。そして走り去ろうとする稜央の腕を摑んだ。
「待って! 逃げないで」
「離せよ!」
「いや! 川嶋くん、いつも逃げてばかりでずるい。私の訊いていることに答えて!」
二人は駅近い道の上で揉み合い、すれ違いざまの年配男性に咎められた。
でもここで手を放したら逃げてしまう。
萌花は摑んだ手だけは離さないと、必死に力を入れた。
稜央から悲痛な声が漏れる。
「手首をそんな強く摑むなよ…逃げないから…」
ハッとして力を緩めた。
稜央は少し赤くなった手首を反対の手で擦った。
「ごめん…川嶋くん」
「いや…確かにいつも逃げてばっかりだなと思って」
2人は駅前まで移動し、ロータリーの隅に並んで座り込んだ。
通りゆく人たちが時折2人を怪訝な目で見ていく。
「どうして川越に話したか。さっきも言ったように、お前が兄貴の自殺の話をしたから。俺も小5の時、あったなヤなこと、と思って」
「同じように嫌なことがあったなって、思ってくれたのね」
稜央は黙って頷いた。
「小4の終わりに母さんの再婚相手が来て、少し経ったら妹が生まれて。そしたらあいつ、初めのうちは俺のこと『暗い』だの『気持ち悪い』だの言ってきて、段々蹴られるようになって。母さんと妹が留守にしてた時、ちょうとあいつと居合わせちゃって、そこでボコボコにされて」
「…」
「俺はボコボコにされただけで生きてるけど、お前の兄貴は死んじゃったんだもんな。よく考えれば同じ辛さじゃないよな」
稜央は嘲るかのように笑った。萌花は首を横に振る。
「そんなことない…」
ありきたりな言い草に自分でも嫌気が差したが、何と言っていいかわからない。
萌花は稜央の手に触れたかった。
“そんなことないよ”
その思いを言葉ではなくて体温で伝えたかった。
その時、萌花はハッとした。
稜央が自分にキスした理由は、そういうことだったのだろうか、と。
もう一度訊こうか、逡巡した。キスしたのはなぜ? と。
しかし萌花は質問する代わりに、隣に座る稜央に少し身体を寄せた。腕が触れるくらいに。
瞬間、稜央はビクリと反応したが、逃げなかった。
萌花は稜央の横顔を見た。
長いまつ毛、通った鼻筋。
こんなにきれいな横顔をしてたのか、と驚いた。
稜央は少し居心地が悪そうに口を結んでいた。
萌花は更に近づいて、頬を稜央の左肩に載せた。
もう稜央も逃げなかった。萌花は身体をそのまま預けた。
「川嶋くん。川嶋くんのこと…好きになってもいい?」
あえて訊いてみる。
稜央は驚いて萌花の顔を見た。そしてすぐに目を逸らす。
「そういうのっていちいち訊くものかよ」
「じゃあ、いいってこと?」
さすがに照れた稜央は立ち上がり赤い顔をして
「知るか!」
と言って走り去ろうとした。
しかし数歩進んだところで立ち止まり、振り向いた。
萌花も立ち上がって見つめ合う形になったけれど、稜央は何を言ったらいいかわからない。
萌花がそっと微笑むと、稜央は耳まで真っ赤にして、逃げるように走り去っていった。
「川嶋くん…やっぱり逃げちゃった…」
それでも萌花の顔には笑みが浮かんでいた。
#14へつづく
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