
【連載小説】明日なき暴走の果てに 第2章 #4
脱いだ服を籠ごとロッカーに入れ、遼太郎はなるべく傷が目立たないように肩からタオルを下げて正宗の後に続いた。
浴室へ向かう渡り廊下の手前で洗面器を取る。ここもまた見事なマジョリカタイルで施されていた。
そして渡り廊下は千本鞍馬口に実際にあった菊水橋を移設したものだという。
本当に博物館のようで見どころ満載なところが、少年心を掻き立てた。
「いちいちすごいな」
「そやろ。面白いねんここ」
打って変わって浴場は比較的近代的で、とても歴史があるとは思えないほど清潔感があった。
奥にある檜風呂が珍しい。また露天風呂もある。人が除けるのを見計らって2人で露天風呂に入った。
「この『貴船石』いうのは、水をかけると七色に光る不思議な石言われてるんやで」
言われて湯をかけてみたが、変化はよくわからなかった。正宗は後ろで笑っている。
「やぁー、最高やな、夏の昼間の風呂は。この後は床で酒やで。こんな贅沢あるか?」
「ほんとにな」
「遼太郎もいい息抜きになったやろ。普段東京の
で忙しない生活してるのやし」
「なったなった。お前はいつも驚くほど強引だけど、従ってみると良いこともたまにはあるな」
「たまにはて! 全部やろ!?」
そうは言いながらも正宗は嬉しそうに笑うと、頭の後ろで腕を組んで鼻歌を歌いだした。
* * *
風呂屋を後にするとまたバスに乗り、鴨川のほとりに出た。
「晩飯の時間まで、ちょっとのんびりしよか」
そう言って正宗は土手に腰を下ろした。遼太郎も隣に座る。
山に囲まれた盆地を流れる、鴨川。
カップル、若者のグループ、親子連れ。様々な者たちを集め、今日も川は流れる。
「今日はよう歩いたし、よう移動したな」
「大人の修学旅行だからな」
「ハハハ、楽しんでもらえたか?」
「十分にな」
「そら良かったわ」
徐々に日の傾く時間で、思ったより風は湿っておらず、昼間の熱を吹き冷ましているようだった。
隣の正宗はさも心地良さそうに目を細め、風に吹かれている。
カップルに挟まれる形になった、その両サイドを見て遼太郎は言った。
「なぁ正宗」
「んー? なんや」
「結局お前、世帯持つ機会は一度もなかったのか」
「女の話か。酒もまだやのに」
「悪いか」
「えぇけど」
正宗はゴロンと寝そべった。
「遼太郎に見繕うてもろうたら良かったかな」
「そんな事するなってお前凄んでたじゃないか」
正宗は苦笑いした。
「ご存知の通り口先ばっかで奥手やからなぁ、俺」
「根っからの研究者タイプだな。運命の出会いもなしか?」
「運命の出会い…ねぇ…」
学生の頃は遼太郎の元にも、正宗と接点が持てないかという相談が入ることがあった。それくらい彼だって人気があった。性格も自分より遥かに良いと遼太郎は思っている。
正宗だったら良い家庭を築きそうなのに。学生時代には子供相手に勉強を教えることも多かったから、全く嫌なわけではないだろう。
「好きになった人とか、いないのか?」
「…まぁえぇやんか。俺は元気やし、そんなことでは寂しい思うたこともないんやで」
正宗は学生時代から女性に関してはこんな風にのらりくらりとはぐらかしてきた。
返ってこの歳になって、もうそんなことを追求するのも意味は無いか、と思った時。
「まぁ、そうやな。お前が結婚したっちゅうのを聞いたら、ちょい焦ったかな」
のんびりとした声で正宗が言った。
「探す気になったか」
「それは…まぁ…別の話や」
「さっきおみくじで小吉出したじゃないか。凶じゃないだけ望みはありそうだぞ」
「あんなとこで凶出してみぃ。すぐそばに清水の舞台あるんやで。ショックでそこから飛び降りる輩がおっても困るやろ。そやから小吉は最低ラインやで、たぶん」
正宗は笑った。
「でもこの先も一人なんて。実家に戻ろうともせず。気がかりではあるんだよ」
「ほななんや。遼太郎はもし結婚してへんかったら、実家に身を寄せたんか?」
「…いや…すまない。そういうつもりで言ったんじゃないんだ」
「いやいやかんにん。俺もちょい感情的になってもうた。そやけど俺は大丈夫やで。一人ぼっちなのはある意味慣れっこやしな」
「…ある意味とは、どういうことだ?」
「なんべんも話してきてるやろう? 家ではなーんか浮いとったしな。居心地悪うて。お前もそれはわかっとるやろ」
「まぁな」
「一人で終わっていく人生かて、この世にはぎょうさんあるやろう」
「まぁそりゃそうだけど…、そんな話はまだ早いだろう」
遼太郎がそう言うと正宗はフフっと笑った。
「あ~、早う遼太郎の子供、抱っこしてやりたいわ。嫌がるかいな? "むさ苦しいおっさん、いやや~" 言うて泣かれたりしてな」
「上の子は特に人見知りするからな」
「ほな、下の子味方に付けさそ」
正宗は心からそれを楽しみにしているように見えた。
もしかしたら今回をきっかけに、正宗とはまた交流が活発になっていくのかもしれないなと、暮れなずむ京の空を見上げ遼太郎は思った。
鴨川上流に見える鞍馬山に向かって二羽の烏が羽ばたいていく。
「ぼちぼち晩飯に向うか~」
伸びをしながら正宗が言った。
「遼太郎のために川床、ぜーったい川っぺりの一番ええ席用意してくれって店にお願いしてあるんや」
「それはそれは」
2人は尻をはたいて立ち上がり、のんびりと川べりを上がって行った。
第2章#5 へつづく