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【連載小説】鳩のすむ家 #13 〜"Guilty"シリーズ

~純代


さっきからメッセージを入れているけれど、既読は付かず。深いため息をつく。

結局最寄り駅まで出てきてウロウロしていたら、ジャーミイと思しき建物に出くわしてしまった。

東京ジャーミイ

突如現れたそれは、本当に日本にこんな建物がと、思わず「わぁ…」と声が漏れてしまうほどだった。
これが、野島くんの日常の景色にあるのだ。

だからこそ…野島くんに案内されたかった。
寂しい。
仲良くなればなるほど募る寂しさ。
薄くはなったものの、消えない透明な壁。

まだメッセージの既読はつかない。仕方なく駅の近くまで戻って来、まだ開いているカフェに入った。



コーヒーにすると眠れなくなるかもと思い、クリームソーダにした。毒々しい緑色と缶詰チェリーの赤のどぎついコントラストが懐かしい。
ソーダ水との接面の、カピカピになったバニラアイスクリームの端っこをスプーンでこそいで食べるのが好きだったことを思い出す。
私の住んでいる街とは違ってオシャレな街なんだな、ということが、こんな時間のカフェの客層からも伺える。

ふぅっ、とヴィンテージソファに深くもたれる。レトロなペンダントライトのオレンジ色のぼんやりとした灯りを見上げながら、秋から変化した野島くんとの関係に思い出してみる。


秋の序の口…野島くんが不倫してた女性とその旦那さんとすったもんだがあって、到底理解の出来ない野島くんの過去の捉え方にブチ切れした時。
もうあんたなんか知らない! と啖呵きって店飛び出した私。
ただの同期なら放っておけばいいのに、野島くんは私の最寄り駅まで追いかけてきて。
それで私を抱き締めて。

私はその時、彼に言った。
私のこと、ぶち壊したっていい。野島くんがこれまでのことに向き合うの、手伝う。野島くんが無理しないで生きていけるように、手伝う、と。

ただ野島くんは、私のことは特別な存在だからぶち壊したくない、と言った。
自分に言い聞かせるように、そう言った。
特別な存在。
私は野島くんの特別な、存在。

あれから2ヶ月。
ふざけながらだけどスキンシップも増えたし、飲んだ帰り際にはハグをするようになったり。

野島くんは "特別な" 存在には、恋人と勘違いすることしちゃうんだ。これじゃあ女の子がみんな沼るわけだ。前から心配してるけど、いつか刺される。間違いなく。実際、痴話喧嘩で何度か怪我はしてる。

じゃあ、彼にとって付き合うって何なの? 肉体関係があるかないかも関係ないし。むしろ特別視されている私はすごく損しているような気だってするし。

そんな感じで透明な壁は薄くなったり厚くなったりを繰り返す。

今、私の左手には、鍵。革のタグが付いているだけの鍵。
これは、壁についた扉の鍵ってことでいいのかな…。
…そこまで考えていないんだろうな、あの男は。


時計を見る。時刻は22:41。
はぁ…まったく、どうするのよ…!

と、思っていたところに、ようやく電話が鳴った。

「もしもし!?」
『ごめん。今どこ?』

ひとまず連絡が来てホッとする。お互い難民にならずに済んだ。

「駅出て左に真っ直ぐ来たとこのカフェ…ガラス張りの…夜遅くまでやってる…わかる? 店の名前は…」
『わかる。今から向かう』

そう言って電話は切れた。

23:01。
野島くんが店に現れた。

「ごめん。俺の家、知らなかったっけ」
「知らないよ。誰と間違えてるの?」

誰とも間違えてないけど、と言いながらドスンと腰を下ろした彼は深く息を吐いた。疲労が濃く見えた。

「…追っかけて行った子…中学生か高校生に見えたけど…」
「高校生」

すかさず返答が来る。

「そんな子にまで…」
「誤解するなよ。そんなんじゃない」
「妹、とか言われたら笑うけど」
「じゃあ笑わずに済むな。妹ではない」
「…何が起こったのか聞く権利はあるかなって思うんだけど…」

けれど野島くんは表情を曇らせた。

「全ては話せない。けどまぁ…彼女は弓道教室の教え子で」
「弓道教室?」
「高校生の彼女があんな時間にあんなとこ歩いてるなんておかしいと思って、家まで送り届けた。ざっくり言うとそんなところだ」
「まさか家出?」
「そんなんじゃないよ」
「まぁ…案外真っ当な保護者・・・だったのね」

野島くんは窓の外を見て再び深く息を吐いた。

「…だいぶお疲れのようね」
「野口の家ってさ、どんな感じなの」

あまりにも唐突な質問だった。

「どういうこと?」
「家族、どんな感じなの」

家族。
野島くんの口から、家族。

「どんなって…普通だよ」
「普通って?」

これまで野島くんの口から『家族』なんて言葉が出た時は、忌々しそうに顔を歪めて何も話したがらなかったのに。

「だから…平々凡々で…」
「両親は仲良いの? 両親とお前も」
「うん…別に…本当に普通だから。普通ってだからその…言い合いもするし愚痴もこぼすし文句も言うけど、仲悪いわけじゃない」
「言い合いも愚痴も文句も同じ気がするけど、憎たらしく思わないの。殴られたりしなかったの」
「殴られはしないよ。頭をポカンと叩かれたことはあったかもだけど…。憎たらしい時もあるよ。でも根には持たないよ。だって」

家族だし。
と言う言葉は飲み込んだ。

「殴られはしない、根に持つほどのことでもない、か…」
「どしたの、野島くん…」
「いや…別に…」
「別にってことはないでしょう。両親の話って避けてきたじゃない、今まで。その女子高生と何か関係してるの?」

野島くんは首を横に振って脚を組み直した。

「俺も普通の家に生まれてたら…どうだったかなって考えて」
「…たら・れば話はわからないけど。少なくとも今の野島くんは存在してないことは確かだね」
「…そりゃそうだろ。そうでなきゃ困る」

私は時計を見た。
帰るならそろそろ終電の時間だった。

「これ…」

私は鍵がぶら下がる革のタグを摑んで揺らした。彼は「あぁ…」と声を漏らす。

「ジャーミイ観に行こうって言ってわざわざこっちの方まで来たのにな」
「もう、さっき途方に暮れてた時に偶然見つけて観ちゃった。確かにすごい綺麗な建物だった。日本っぽくないね」
「だろ」
「出来れば一緒に観たかったけど」
「じゃあ、今から行くか」
「え?」
「すぐだろ?」
「でも、時間が…」
「そう言ってる間に、ほら」

そう言って私の手から鍵を取ると立ち上がって店の出口に向かった。

再び、私は美しくライトアップされたジャーミイを見上げた。隣りに野島くんがいる。
そっと野島くんのスーツの袖を掴むと、彼はチラリと私を見、またジャーミイを見上げ、話し出した。

「俺の家、ちょっとおかしいって話はしたことあるじゃんか」
「うん。おかしいっていうか…お祖父さんもご両親も厳しくて、お父さんは官僚から県議会議員を経て県知事になられてて…それ聞いてたまげたけど」
「母親は別に厳しくはなかったけど。…子供の頃、剣術習わされてたことも話したよな」
「うん、剣道じゃないんだって思って」
「竹刀じゃなくて、木刀だったからな」
「木刀!? 当たったら痛そう」

間抜けな事言ったかな、と思ったが。

「痛いよ。その木刀でボコボコにされたこともある」
「えっ…? そんなに?」
「どう思う?」
「どうって…」
「身体中に痣作ってさ、そんな子供いたら、どう思う?」
「今だったら虐待を疑われそうだね」

野島くんは黙った。

「え…まさか虐待、受けてた、とか…」
「子供の頃、どう受け止めていたか、だよな。別に虐待だなんて思ってなかった。祖父さんは稽古だって言ってたし、両親は当たり前のように受け入れていたし。強い子になれ、お前はこの家の大事な長男なのだから。周りの子たちと同じことやっていちゃだめだってさ」
「…自分も当たり前だって思っていたのね」
「祖父さんが死んだ時、やっと解放されると思ってホッとしたんだ。稽古、本当に嫌で」
「…それ、弟さんも同じように?」
「祖父さんが死んだ時は弟はまだ2~3歳だった。10歳離れてるから。アイツはそっちの苦しみは味わうこと無く済んだ。他の苦しみは嫌っていうほど抱えたけどな」
「どうして、そんな話を急に…」

野島くんは袖を摑んでいた私の手を取った。ドキッとした。

「普通の家って…なんだろうって思って」
「…野島くんはこれから、普通の家庭を作ったら良いんじゃない?」
「俺が?」

野島くんは目を見開いて驚いた。

「結婚願望ないって言ってたけど、野島くんは何でもチャレンジする人だし、野島くんの普段のセオリーからすれば、一度やってみてから判断すべきじゃない?」
「…」
「それまでには超えなきゃいけないハードルがたくさんあるとは思うけど、普通の…それが野島くんにとっての理想の家族でしょ。わからない、無いなら自分で作る。野島くんはそういう精神のもとでこれまでやってきたでしょ」

黙り込む野島くん。
時計を見ると、もう終電の時間を過ぎていた。

「終電、終わっちゃったよ」
「俺が引き止めたからな」

野島くんは私の手を引いて、駅とは反対方向に歩き出した。

「どこ行くの?」
「…俺の家、教えておく」



「ちょっと待ってて」

玄関に入った所でそう言われ、靴を脱がずにしばらく直立不動で待つ。野島くんが暗い部屋の奥に入っていくと、やがて灯りがともる。ガサガサ、バタバタ、と少し音がしたかと思うとすぐに奥から声が掛かる。「いいよ、入って」

「あ、お、おじゃまします…」

靴を脱ぎ、なぜか忍び足でそろりそろりと狭い廊下を抜ける。
突き当りの部屋には正面にペールグレイの遮光カーテンがかかった掃き出し窓。その窓際に何も置かれていないデスク。左手にカウンターキッチン…野島くんの姿がない。

と、上から物音。ロフトがあるのだ。

「野口はこっちで寝て。俺、下で寝るから」
「えっ?」
「上の方が暖かいから。ロフト狭いし」

改めてその "下" を見回す。

男の人の部屋は脱ぎ散らかっているイメージが勝手にあったけれど、きちんと仕舞っているのか見当たらない。壁際に置かれたローソファ。これまた背の低い本棚。TVはない。キッチンを見ても使っている形跡はない。生活感のない部屋とはこういう事を言うんだな、と思う。

「野島くんはいつもそっちロフトで寝てるの?」
「うん。でも下で寝落ちすることもあるし、別にどこでも」
「そっち行っていい?」

言いながら既にハシゴを登った。「下りるから待って」と言われた時にはもうロフトに顔を出した。人一人寝るのにちょうど良いくらいのスペースで天井は低い。
淡い光のランプが灯っていた。今片付けたのか、本の類が隅に積まれていた。ラップトップPCも目に入った。

ロフトに上がり、すり膝で野島くんの前に迫る。

「こっちでも下でもいいから、一緒に…」
「…」

ものすごい至近距離だ。鼓動が聞こえてしまうかもしれない。

「女の人、部屋に入れないって言ってたじゃない?」
「絶対にってわけでもないけど」
「え。そうなの。誰かここに来たことあるの?」
「なくはないけど…基本はない」
「でも、どうして今日は私を…家の場所教えておくなんて言ったの?」
「…」
「私に居てほしい理由があった? 何か、話したいことがあったんだんじゃない? 家族の話とかし出したし…」

ーこの先も、この部屋を訪れていいよっていう意味もある?
…どうだろう。

「それってさ…つまり…」

言いかけた時、野島くんの手が私の頬に触れた。





#14(最終話)へ


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