【連載】運命の扉 宿命の旋律 #39
Symphony - 交響曲 -
萌花のインターンシップも2週間ほどが過ぎ、稜央の父、企画営業部次長の野島遼太郎の姿や様子もほんの少し摑めてきている。
少しでも摑んだ情報を夏休み中ずっと滞在している稜央に伝えている。
遼太郎の話をする度に、稜央は複雑な表情をする。
無理もない、と思うけれど。
「稜央くんは…どうしたいの?」
「…顔を合わせたいと思ってる」
萌花はこの時はあくまで穏便に、と思っていた。
稜央はこれまで父親に対して恨みを吐くことが多かったが、最近は複雑な思いを漂わせながらも、悪く言うことは減ってきた。
心境の変化だと、萌花は思っていた。
あまりにもその存在が目の前に迫ってきたし、何より、初めて父親の姿を見た時の稜央の涙は、純粋なものだと思っていた。
そして稜央のその願いを叶えるのは自分なのだ、と思うと誇らしかった。
* * *
萌花はあることを思いついた。
稜央がピアノを弾く姿を、遼太郎に見せたい、ということ。
あれだけ素晴らしい演奏をするのだから、音を聴かせたい、姿を見せたい、ひっそりと存在を知らせたい。
そう思った。
「稜央くんのピアノ弾く姿、動画に撮ってもいい?」
「え、動画? 撮ってどうするの?」
「う~ん…離れてる時に観ることが出来るし、なんていうか…いつか稜央くんがすごいピアニストになった時に、こんな時代のこんな時もあったんだよって、残ってたらすごいなって思って」
半分はその場の思いつきで言ったが、半分は本心だった。
「やだよ、後に残るものなんか…恥ずかしいよ。それに俺、すごいピアニストになんか今更ならないよ」
「顔映さないで、後ろ姿と弾いている手元を撮るんだったら? 限定公開でYouTubeにあげてもいい?」
「え、YouTube?」
「2人だけのチャンネル作ろうよ」
萌花はどうしても稜央のピアノのライブラリを作りたいと言った。
稜央も確かに、自分のプレイを残しておくのも悪くないかな、と思い始めた。
「じゃあ…やってみるか!」
早速2人はピアノレンタルスタジオを検索した。せっかくだからグランドピアノがいいな、と探すと意外とたくさん見つかった。
「へぇ…こういうところがあるのか…今まで学校のピアノ使わせてもらってたけど、だいぶ得してたな、俺」
そう言って稜央は笑った。
直近の土曜日に都内のスタジオを2時間予約した。
* * *
スタジオで、稜央はグランドピアノの前に座った。
いつもの服装と変わらないが、黒いシャツに黒いパンツ姿で、本物のピアニストのようで萌花はうっとりした。
顔は映さないと言っているのに、稜央が少し長めの前髪を気にしているのがかわいいと思った。
萌花のスマホとデジカメを使い、スマホは鍵盤の横に固定し、デジカメは萌花がカメラマンとなって撮影することにした。
曲は萌花がリクエストし、ショパンの『幻想即興曲』『スケルツォ第2番』『英雄ポロネーズ』、そして稜央が弾きたいと言ったラヴェルの『なき王女のためのパヴァーヌ』『水の戯れ』…どれも高校生の頃から聴いてきた馴染みの曲だった。
本当はグリーグの『ピアノ協奏曲イ短調Op.16』を収めたかったが、オケパートがどうにもならずに断念した。
稜央はカメラが回っていても臆することなく、うつむきがちで目を閉じ、躍動的な選曲のショパンを華麗に、完璧に弾いていった。
逆にしっとりとした選曲のラヴェルの時はたおやかで哀愁すら漂わせ、ショパンの時と全く違う雰囲気を全身から発していた。
手ブレ防止機能が付いているとは言え、あまりにも感動して震えてしまいそうになるのを、萌花は必死に堪えた。
ミスのない完璧な演奏に、レンタル時間内に無事が撮影が済んだ。
「すごい…稜央くん、めちゃくちゃカッコいい…」
再生チェックをしていた萌花が思わず呟くと、稜央は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「それ…どうやってアップするの?」
「大学の友達に動画編集できる子がいるから、その子にちょっと手伝ってもらおうかと思ってる」
「萌花以外のやつが動画観るの?」
「編集で観るだけだからそんなに気にしないで」
これが完成したら、一人で眠る前に観ることが出来る。
稜央の最も美しく素晴らしい姿を、ずっと観ることが出来る。
そして野島遼太郎にも…こんなに素晴らしい才能を持っていることをアピール出来る。
萌花の胸は期待に膨らんだ。
* * *
数日経ち、動画編集が完了したと友達から萌花宛に連絡が入った。夜通し作業してくれたらしく、思ったよりも早く仕上がった。
ファイル共有サーバから5つのファイルをダウンロードし、萌花のPCで2人で出来上がりを確認した。
映像の冒頭には曲紹介のテロップが埋め込まれ、萌花のデジカメ映像、そして手元の映像がきれいに編集されていて、まるで音楽番組のようだった。
「え…すごいな萌花の友達。あれがこんな風になっちゃうんだ…」
稜央も感嘆して、出来上がりに満足しているようだった。
萌花は早速YouTubeのチャンネルを開設し、そこに5つのファイルを限定公開としてアップした。
「こうしておけば他の人が検索してこの動画が引っかかることもないし、URLは共有出来るから稜央くんも観られる」
そしてあなたのお父さんにも観てもらうことが出来る…と心の中で萌花は思った。
稜央は最初は嫌がっていたのに「俺もついにYouTubeデビューだ」と少しはしゃいでいた。
* * *
早速萌花は会社で、インターンシップ中に与えてもらっている暫定のメールアカウントを使って遼太郎宛にURLを送った。
ビジネスマナーでメールの書き方を少し教わったが、やはり本番で書くとなると緊張した。
3度ほど読み返し、エイヤ!と送信ボタンを押した。
送信した後もしばらく胸の高鳴りが収まらなかった。
#40へつづく