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【連載小説】1989 From far east #1-4 ブルガリア・ソフィア宗教建築を巡る

ブルガリア最終日。
ホステルに朝ごはんは着いていないので、外へ出る。ヴィトシャ通りにはオシャなカフェがたくさんあるしね。

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こんなシャンデリアが印象的なカフェに入った。頼んだものはごく普通のサンドイッチとカフェオレ。

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ブルガリアでは(他の国でもたまに)コーヒーに代替小さな焼き菓子が添えられている。

朝ごはんを食べ終わってホステルに戻った時、不思議な出来事があった。

ホステルをチェックアウトした後に荷物を預かってもらいたかったのだけど、フロントにいつも人はいなくて、電話をかけてお願いするしかない。英語で、しかも電話。超難関。
観念して電話しないとな…と憂鬱な気持ちでホステルに戻り、荷造りをしていると、誰かがホステルに入ってきた。

部屋から除くと、女の人だった。その人は私にこう言った。
「あなた、フランス語わかる?」とフランス語で。
「はい、少しなら」
「私はここの掃除をしに来たの」
これはチャンスと思い、フランス語でお願いした。私の荷物を夕方まで預かって欲しいんです。
「いいわよ。フロントのデスクの下に置いておいて。鍵はその時まで持っておいていいわ」

なんと。フランス人がこんなところに。

私は不得意な英語でのやり取りをしないで済んだ。
その後友達に「なんでそこでフランス語でならやり取りできるのかが、まずおかしいでしょ」と言われたけれど、とにかく芸は身を助ける、の1つでしょこれは…。

まぁ英語ができれば全く問題ない話ではあるけれど。私はどうも…何度英語を勉強しても身につかない。
興味がないからね。好きこそものの上手なれとは学生の頃よく言われたけど、その代わり興味がないことには一切合切手を付けなかった。

とにかくホッと一安心して、街歩きを開始。

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ヴィトシャ通りを北上する途中に見えたのが、裁判所。ちょうどトラムが通るところだった。狛犬のようにライオン像が建っているのだけど、見えないね。

通りをそのまま北上すると見えてくるのは、ブルガリア正教の教会、Катедралет Храм "Св.Неделя"(聖ネデリャ教会)。
この教会の前にあるのがпл.Св.Неделя(スヴェタ・ネデリャ広場)で、ソフィアの中心にあたる。この広場を堺に、中心を通る通りの名前がбул.Витоша(ヴィトシャ大通り)から、бул. княгиня Мария Луиза(マリア・ルイザ通り)と名前を変える。マリア・ルイザ通りはソフィア中央駅に向かって北にのびる。

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聖ネデリャ教会の外観。柳の木がちょっと日本ぽくない? まぁそれ以外は全く日本ぽくはないけれど…。
そして私の今日のメインの目的はここではなく…。

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まずはここ、Баня Баши Джамия(バーニャ・バシ・ジャーミヤ)。先程の聖ネデリャ教会から徒歩1~2分しか離れていないところにある。
前にも少し書いたけど、ソフィアの中心部はブルガリア正教会、イスラムのジャーミィ、そしてユダヤ教のシナゴーグが近距離に存在する。多民族性を象徴している。

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私はジャーミィに立ち寄るために大きめのスカーフを用意していた。ヒジャブのように髪を隠すため。ただ中に入る前に被ろうと思って、守衛さんらしきに人に「中に入れますか?」と訊いた時は被っていなかった。それが行けなかったのかはわからないけれど「ダメだ」と断られてしまった。ガーン…!
ジャーミィやモスクの内部にはかなりの興味があったので結構ショック…。

ちなみにジャーミィの名前にもなっているБаня(バーニャ)は”風呂”を意味していて、由来となっているЦентрална минерална баня(中央浴場)はジャーミィのすぐ背後にある。

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元々は温泉に浸かれたみたいだけど、今は入れない。蛇口から温泉水が出て、汲んだりはできる。こんなところにも温泉が湧いているのね。

そんなこんなでジャーミィは諦めて、通りを挟んだセントラル・ハリ(中央市場)の裏手にあるСофийски Синагога(ソフィア・シナゴーグ)を目指すことにする。

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セントラル・ハリを左手に見て道沿いに進む。

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これがソフィア・シナゴーグ。ドーム型の屋根はブルガリアならではなのかな。

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重厚な門扉は閉ざされている。ここでも中に入れないのか…。と思って隙間から覗いていると、中に警備員らしき人と目が合った。
彼は私に近づいてきたので、「中に入れますか?」と訊いたらニッコリ笑って「どうぞどうぞ」と言い、扉を開けてくれた。
「パスポートを見せてください」をと言われ提示した後は、カバンの中身をチェックされた。
ユダヤ教・ユダヤ人はいつだってテロの対象になりかねない。これは以前誰かから聞いた言葉。それを思い出した。厳しく警戒しているけれど、この警備員さんらしき人は優しい人だった。
シナゴーグの扉を開け中に入れてもらい、写真も自由に撮っていいよ、と言ってくれ、外へ戻っていった。シナゴーグの中は私だけだった。

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「うわぁ・・・」
思わず声が漏れる。なんて美しいんだろう。ブルガリアの旅で一番いいものを見たと思う。

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ガイドブック「地球の歩き方」によると、ユダヤ教徒には東欧系のアシュケナジムと、南欧系のセファルディムの二大勢力があり、ここはセファルディムのシナゴーグとしてはヨーロッパで最大規模だという。シャンデリアもブルガリアで最大で、重さは2トンある。

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淡いブルーの美しさに見惚れる。初めてシナゴーグを訪れたのはポーランドだったが、とても質素なものだった。ここは全く違う。セファルディムとアシュケナジムの違いだろうか…。

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こんなに美しいのに、観に来る人がほとんどいない事も驚き。

日本人にとってユダヤ人・ユダヤ教はあまり馴染みがない。日本で観光できるモスクに行ったことはあるけれど、シナゴーグはないし、なにかイベントやってるというのも、あまり聞かない気がする。
そのせいか、訪れる国にシナゴーグがあったら、訪ねることにしている。

少し興奮気味にシナゴーグを出て、ネデリャ広場の方へ戻る。この広場には東側諸国で最初に怪魚したというシェラトンホテル、Шератон София Хотел Балкан(シェラトン・ソフィア・ホテル・バルカン)という5つ星のホテルが有り、その裏に4世紀から存在するХрам ротонда Св. вмчк Георги(聖ゲオルギ教会)がある。

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現存するソフィア最古の教会で、ローマ時代の浴場跡も見ることが出来る。すごい。

そのまますぐ近くのСтаринен Храм Св. Петка(聖ペトカ地下教会)へ。

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半地下になっていて、ここから右背後の旧共産党本部の地下にあるАнтичната Крепост Сердика(セルディカの遺跡)へ行ける。この地下教会はオスマン朝統治下に建てられたキリスト教会のため、このような形の建物になったという。戦いの舞台になっていたことがよくわかる。

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地下遺跡は古代の城塞都市セルディカの遺跡。メトロの工事の際に偶然発見されたんだって。2世紀~14世紀というから驚き。

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こんなにきれいな状態であることに本当に驚き。地震がないっていいね…。

地上へ上がって、Цум(ツム、デーパトのこと)へ行ってみる。

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共産圏の巨大な建物好きにはたまらない。こんな巨大でどうするんだ…!と突っ込みたくなるけど、そこも愛しいわけ。国旗が風になびいているのもいい感じ。

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中は…閑散…。さすが…。お店も華やかな感じはない。そもそもこんなに巨大なのに、隅々まで行ける感じじゃない。後で調べたら、全てがデパートってわけではなく、オフィスとかにも使われているみたい。そりゃそうか…。

1階(日本で言う2階)を彷徨っていると、東洋人顔で、品の良さそうな夫婦がベンチに座っていた。目が合って話しかけられる。「日本の方?」
「はい、そうです」と答えると「こちらに留学でもされているの?」と。
「いえ、旅行です」
「学生さん? お1人で?」
「いえ、学生はもう遠い昔に…。1人旅はよくするので」
「えぇ…てっきり学生さんかと…。しかも1人なんて。やっぱりこの辺りは治安が良くないと聞いているから、私たちはツアーで来ているのよ」

そうね、治安…。私は色々旅してるけど、治安の悪さを感じたことがあまりない。鈍感なのか。そもそも夜はほとんど出歩かないし(旅の最中は21時に就寝することも)、お金持ってなさそうな風で歩くし…この夫婦が見間違ったように、子供に見られることも、あまり危ない目に合わない要因かもしれない。

それじゃよい旅を、と言って別れる。

そろそろランチでも…ブルガリア最後の食事になるから、ちょっと奮発してもいいかな、と思って、ホステルのオーナーに事前に聞いておいたレストランがある。

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ヴィトシャ通りから2本ほど奥に入った角にあるレストランMOMA。瀟洒な建物で、ちょっと高級そうに見えるけど、思ったほど高くないので驚き。

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外せないワインは幸いなことにハーフボトルが置いてあった。
そしてブルガリアといえばお決まり(?)のШопска Салата(ショプスカサラダ)。この色合はブルガリア国旗を模しているんだろう。本場で食べる幸せ。

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次は定番とも言えるスープと肉。Боб Чорба(ボップ・チョルバ。豆と野菜の煮込みスープ)とКебапче(ケバプチェ)。要はハンバーグだけどもっと味が濃い。スパイスのせいかな。添えてあるポテトにチーズがたっぷり。
あぁぁもう幸せの極みだわ…。

バルカン半島に位置するブルガリアは、料理にヨーロッパや中東の影響を受けていることがよくわかる。ケバプチェのお肉の味。シロップに浸かった甘いデザート、Баклава(バクラヴァ)。塩味ヨーグルトドリンク、アイリャンなんかは特にそう。Мусака(ムサカ)はギリシャの影響を受けているしね。そしてオリジナルのヨーグルトとワイン。

陸続きの国はこうやっていろんな文化が融合して形作られているんだなぁとしみじみ感じる。
そして自分が島国の人なんだなぁ、ということも。

ご飯も済んだので、街歩きを再開。
бул. Цар Освободиетел(ツァール・オスヴォボディテル大通り)を東へ進む。初日に少し歩いた、聖ニコライ・ロシア教会やアレクサンダル・ネフスキー寺院がある辺りへ。

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初日には見なかったХрам "Св. София"(聖ソフィア教会)。6世紀に建てられた初期キリスト教会で、ソフィアという街の名の由来となった教会なんだって。レンガ造りなんて珍しい、そしてキリスト教教会っぽくないね。オスマン朝支配下時代はモスクとして使われていたんだって。建物自体は復元で、残念ながら6世紀当時の姿ではないみたい。

この辺りは教会や寺院がたくさん集まっているけれど、周りには公園のようになっているところが多い。 

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聖ソフィア教会の向かいにいたのは聖ゲオルギオス像。ブルガリア正教会内のイコンでもよく見かけた。

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散歩を続けていたら青空が!最終日にしてやっとか!

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日本食レストランを見つける。「雅」というらしい。どこの国に行っても必ず日本食レストランを見つけることが出来るから、日本食ってすごいなって改めて思う。まぁめったに入ることはないんだけれどね。

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午前中に訪れたツム(デパート)の広告車?リヤカーを改造しているっぽいんだけど…なんか微笑ましい。

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初日にどんより空の下で見た聖ソフィア像もこんなに輝かしく。手足も金色…といいことは肌の部分が金色なのね。右手には花輪を、左手に載っているのはフクロウ。服が風になびいていて、勇ましいね。

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ヴィトシャ通りに戻ってきた。ホステルで荷物をピックアップして空港へ向かうとする。正面にヴィトシャ山の嶺。

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行きと同じようにメトロで向かったのだけれど、イマイチ空港まで行く列車なのかわからなかったので、近くにいた若い(美人の)女性に聞いてみた。彼女は電光掲示板を読みながら「空港へ行くわよ」と教えてくれた。

来る前はブルガリアの人はシャイだと聞いていたけれど、そんなことはなかったと思う。明るくて(朝ごはんに行ったカフェの店員さんとか)、レストランの店員さんなんかもどこも親切に感じた。まぁ、百聞は一見にしかず、だね。

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じゃあまた、次の目的地で!

ще се видим!!(ブルガリア語で、またね!)




[訪問時期]

2016.05.02~05.05

[参考資料]

  1.   Wikipedia 聖ゲオルギウス



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