飯嶌、ブレイクスルーするってよ! #11 ~アンガーマネジメント
橋本さんは僕を休憩室に座らせた。
「飯嶌さんの気持ち、すっごくよくわかります。でも課長相手にあの言い方はマズイですよ」
「あんな言い方されたら、誰だって頭くるでしょう。次長のこともだよ? 関係ないじゃんそんなの、今!」
「鈴木課長にはとりあえず謝りましょう」
僕は口を尖らせて「嫌だ」と言った。
橋本さんはため息をついて「何か飲みますか?」と訊いた。
「いいよ、僕が買う。僕は君より先輩なんだから。何がいい?」
「先輩ならもうちょっと先輩らしく振る舞ってください。えっと、ではホットのミルクティで」
一言余計だな、と思いながらホットミルクティのボタンを押す。
「ごちそうさまです」
橋本さんはカップを受け取り、ふぅふぅと冷ましならが少しづつ飲んだ。
僕はコーヒーを飲んだ。
「飯嶌さん、アンガーマネジメントって聞いたことありますか?」
「アンガーマネジメント? なんだっけそれ」
橋本さんは『怒りをコントロールする方法』として、6秒ルールなるものを教えてくれた。
「ブチッと怒りを感じた時に6つ数えるんです。そうするとちょっと落ち着くらしいですよ」
「よく知ってるね。橋本さんって怒りっぽいの?」
「いえ、山下さんが前に話していたのを思い出しました。何のときだったかな…飯嶌さんもいたと思いますけど」
僕は全く憶えていなかった。おそらく飲み会の席だろう。
「とにかく課長には謝って、工数は出してもらわないといけないですよね」
僕は再び憂鬱な気分になった。
* * * * * * * * * *
自席に戻ると、野島次長と前田さんが何かを話していたが、僕に気付くと次長は僕を手招きした。前田さんは自分の席に戻っていった。
嫌な予感がする。
「何でしょうか…って何となくわかりますが…」
「わかってるなら理由は省略する。だいぶ熱くなったみたいだな」
鈴木課長から野島次長へ直々に電話をかけて文句を言ったらしい。
「だってあの課長…」
「飯嶌、何度言ったらわかる。"だって" は禁止だ。他の言い方に置き換えろ」
「酷いこと言われたんですよ。給料払ってるんだからいくらでもやらせればいいんだとか…次長のことだって…僕、悔しいったらないですよ」
「気持ちはわかるが、お前が感情的になったら何も解決しないからな」
「次長はいつも冷静だし、そういうことも言えますよ。でも僕なんか何の役職もないから説得力もないし、力量もないから舐められるし…」
野島次長は大きくため息をついた。
「飯嶌、今夜空いてるか?」
「予定ですか? まぁ、空いてないこともないです」
「じゃあ、ちょっと付き合え」
* * * * * * * * * *
次長と僕は会社の近くの居酒屋に行った。
次長は僕がビールよりレモンサワーが好きなのを覚えていて、それを頼もうとしてくれた。
「え、最初はビールでいいですよ。次長にお付き合いします」
「無理に好きでもないもの飲まなくていい。お前はこっちが好きなんだろ?」
「やっさしぃー、さすが次長。でも今回は、次長と同じもので乾杯したいんです」
「なんだ、気味悪いな」
すると次長がレモンサワーを頼むと言い出した。
僕にこんなに気を遣ってくれるのは、やはり今日のあの一件のせいだろう。
兎にも角にも、僕たちはレモンサワーで乾杯し、揚げたてジューシーな唐揚げにかぶりついた。
「うめぇー! マジこの組合わせ最高っすよね!」
僕のそんな様子を見て、野島次長は安堵した顔になった。
「少しはストレス解消になったか」
「あ、すみません今日は…」
「反省する気持ちも出てきたみたいだな」
「反省...でもやっぱり許せないです。あんな言い方しなくたっていいのに」
「あんな言い方、については、お互い様なんじゃないのか。売り言葉に買い言葉って言うだろう。そういう時は買った方の負けだ」
たしなめられてしまった。
「鈴木課長から次長に直々に電話かかってきたんですよね。何て言ってたんですか? あの人、捨て台詞で次長のこと悪く言ってて...僕はそれが一番許せなくて」
「まぁ、言いたいやつには言わせておけばいいんだ。彼が言ったことは事実だしな」
「...どういうことですか?」
次長はグラスを早々に空にし、2杯目を頼んでいた。
「鈴木課長は俺より社歴は全然先輩だ」
「でしょうね。頭を見ればわかります。あんなんだからどんどん周りに先を越されるんですよ。万年課長ってやつですかね」
野島次長はジロリと僕を見た。
「そういう口はほどほどにしとけよ」
2杯目のレモンサワーも半分くらい空けてしまう。今日は次長のペースが早いなと思った。
「俺が入社3年目の時にあるプロジェクトが発足して、そこでリーダーをやらせて欲しいと当時の上司に頼み込んだ。まぁ今の部長だが。俺はずっと企画営業部でマーケティングのセクションにいたんだが、新商品の開発のプロジェクトで、俺は一番目立つチームのリーダーを務めた」
「もしかしてその目立つ、というのは、今僕がいる推進チーム、ですか」
「そうだ。俺はセールスマンじゃないから、売上というわかりやすい数字で判断してもらえない。だから目立とうとした」
「どうして目立ちたかったんですか」
「評価されるためだ。もっと言えば、昇格したかったからだ。同期の誰よりも早く。そう、営業に回った奴らよりもな」
「結果はどうだったんですか?」
「火消しにも積極的に飛び込んだ。強引なやり方も多少した。生意気だと陰口を叩かれても全て無視した。遅延はなく、リリースに持ち込んだ。昇格には2年かかったが、そのあとはトントン拍子だった」
そう言って早くも3杯目を頼む。
僕は次長の言葉に驚いた。野島次長がそんな野心を持っていたとは、全く知らなかった。自分の都合の悪い言葉を全て無視した強靭さにも驚いた。
確かにまだ40前なのに、ドイツ赴任から栄転して次長職に就いてそれをキープして、ほぼ部長代理のような仕事してる。他部署の役職メンツを見ても相当若手だ。
「だから鈴木課長が言った "生意気" っていうのは、その通りなんだ。まぁ目上の人だから言葉遣いはもちろん気をつけるけど、権限の強さは歴然だ。そりゃ面白くないだろう。ただ、文句は言わせない仕事をして来たつもりだ」
役職者としての実態や成果が確実に伴っていて、妬みなんかでは引きずり下ろせない。
だからネチネチ口撃するしかないんだろう、無能な古参社員どもは。
「結構、やっかみ言われたりしたんですか?」
「そりゃもう、未だにそうだよ。今日わかっただろう?」
野島次長は平然と言った。
「そういう時、やっぱり黙って耐えるんですか? 論破はしないんですか? 両方あり得そうな気がしますが...」
「そうだな、ケースバイケースだ。感情的になってトンチンカンなこと言うやつには黙ってやり過ごす。相手が自分で恥ずかしい、バカバカしいと思わせるようにな。理論攻めしてきたら、やり返す」
「...次長じゃないと無理です、それ...」
野島次長は3杯目のグラスも半分ほど空け、こう言った。
「飯嶌ができることはある。ケンカを買わないことだ」
「...黙って耐える方ですか」
「そうだ。明日からでもすぐ出来るだろう」
「今日、橋本さんにも言われたんですよ。アンガーマネジメントですよって」
「ほぅ。橋本はなかなか知ってるな」
「山下さんが飲み会の席で言ってたっぽくて」
「飯嶌はその場にいなかったのか」
「いたと思うんですけど...憶えてないです」
次長は小さくため息をついて「まぁ飯嶌らしいけどな」と言った。
「飯嶌は今日、鈴木課長に言い返して、感情は吐き出したから一瞬ストレスは発散できただろうが、勝負的には大負けして帰って来た。あぁいう場面で黙っているか、きちんと謝ることは負けているように感じるかもしれないが、そうではない」
3杯目も空にした野島次長が、僕の目を覗き込んだ。
「前に言ったろう。残念なイケメンとか言われちゃうヤツが好きだ、と」
「はい、あの時は変態かなと思いましたが」
もちろん冗談で言ったことは承知の上で、野島次長は「変態呼ばわりか」と苦笑いした。
「俺だって悔しい思いを山ほどして来た。だからこそ、お前が気に入った」
「...」
「明日、鈴木課長にちゃんと謝って来い。その上で工数出しをしっかりやってもらえ。お前にかかってるからな」
「気が重いです...」
「鈴木課長は俺のことが嫌いだ。飯嶌ならまだ今のうちなら彼の懐に入れる。苦手な相手ほど、味方につけろ」
「...はい」
次長はケロッとして、4杯目と料理の追加を注文した。
--------------------------------------
第12話へつづく