【連載】運命の扉 宿命の旋律 #17
Träumerei - 夢想曲 -
萌花は稜央に夢中だった。
夏が来ると太陽が急かすように、稜央を求めるようになった。
稜央もまた、そんな萌花に応えるようにそばにいた。
夏休み中も夏期講習にかこつけて学校に行き、音楽室で稜央の弾くピアノを聴くことが萌花の日課だった。
稜央は音楽室の合鍵を教師から “正式に” 借りていた。稜央の実力と事情を理解してくれており、それを利用した。
夏休みに入ってすぐ、稜央は「まだ練習中だけど」と言って久石譲の『Summer』を弾いた。
「これ知ってる…聴いたことある。こういうのも弾くんだね」
「ピアノ曲は元々色々聴いているけど、弾きたいと思うのは偏っていたと思う。でも最近は本当に色んな曲を弾きたいと思うようになった」
「どうして? どういう心境の変化?」
「…萌花のこと考えるようになってから」
「えっ…私?」
「萌花のこと考えてると、こういうの弾きたいとか浮かんでくる」
萌花は稜央の弾く曲のバリエーション豊かになっていくのが自分がきっかけだと知って嬉しくなった。
そして稜央はついにラヴェルの『なき王女のためのパヴァーヌ』を披露した。
「すごく綺麗だけど、悲しい曲だね。これはなんていう曲だったっけ?」
「ラヴェルの『なき王女のためのパヴァーヌ』って言う」
「すてきな曲名ね。イメージにぴったり」
「萌花から、兄貴が自殺したって話を聞いた後で、練習を始めた」
「え、そうなの? どうして?」
「言葉でうまく言えないから、どうしたら気持ちを表現出来るかなって思って。哀しみの冷たい泉の中に沈む萌花が、光の誘導で浮上して、希望を持ってくれたらなって思ったら、この曲がイメージにピッタリだった」
萌花は驚いてすぐに言葉が出なかった。
兄の自殺の話をした時はもう半年も前で、まだ彼は自分のことなど全く無関心だと思っていたからだ。
あの頃から少しは自分のことをよぎらせて、わざわざ新しい曲に取り組んでくれたのかと思うと、胸が詰まった。
萌花は思わず背後から稜央を抱きしめた。
「ありがとう…。私も言葉でうまく言えないから、こうやってハグしか出来ない。ごめんね」
「ううん…言葉なんて信じなくていい…曖昧だから。本当のことは本能で…五感で感じるはずだから」
稜央は萌花の腕に手を重ねて言った。その言葉も嬉しかった。
「稜央くん…大好き。これだけは言葉で言わせて」
稜央は静かに微笑んだ。
萌花は稜央とここまで心を通わせることが出来て天にも昇る気持ちだった。
* * *
そんな2人の気持ちが高まるのにそう時間は掛からなかった。
夏休み中も後半に入り、いつもの音楽室で稜央が数曲弾いた後、2人の視線が絡み合った。
キスの後、稜央は萌花を抱き締めた。彼の身体は微かに震えていた。
2人ともしばらく言葉もなく抱き締め合う。
北校舎とはいえ真上から照りつける真夏の陽射しは、反対側の校舎の白い壁に反射して、室内を白く輝かせていた。
首筋に滲む稜央の汗を感じながら、萌花は何を言ったら良いか考えていた。
そのうちに稜央の唇が萌花の耳たぶに触れた。
ビクリと身体が反応する。
彼の吐息までもが震えているようで、それでいて熱かった。
唇はやがて萌花の首筋を下がっていく。
「稜央くん…」
稜央は何も言わない。彼の手が不器用に萌花の背中を弄る。
下着のホックに触れた時、動きが止まる。
萌花は期待と不安が半々で、どうしたらいいか分からずにいた。
「ちょっと、怖い」
「どうして?」
「どうしてって…」
「大丈夫だから」
稜央の手が萌花のシャツの中に潜り込み、背中のホックに直接触れた。
「待って。ここ、学校だし」
「人、近くにはいないよ」
校庭では球技系部活が活動している声がしているものの、確かに北校舎に人影はほとんどない。
「でも」
「嫌なの?」
「嫌っていうか…うまく言えない」
「うまく言えないなら」
稜央は萌花の顔を両手で押さえ、激しくキスをした。
萌花の頭の中では、高校2年ではまだ早いのではないかとか、でも好きなら関係ないのかなとか、学校では嫌だとしたらどこならいいのか、など様々な思いが頭の中を駆け巡っていた。
その時廊下で物音がし、2人は一斉に声を殺してピアノの影に身を潜めた。
すぐに誰かが入ってくることはないだろうとは思っていたが、緊張が走った。
ドアの細い窓越しに人影が見えたが、2人には気づかなかったようで、遠ざかって行った。
曲を弾いている時ではなくて良かった、と安堵のため息をついた2人は、身を寄せ合っていたため、顔が間近にあった。
稜央は萌花を押し倒した。
床の硬さで背中が痛くなるほど、稜央は萌花の上に跨がり両手で肩を押さえつけ、息を荒くして覆い被さってきた。
稜央も初めてなのだろう。彼の手や唇は躊躇いや戸惑いを含みながらも、萌花の身体を夢中で弄った。
萌花は目を強く瞑った。
「触って」
不意に稜央の声がして目を開くと、稜央は萌花の左手を取り、既に昂った彼自身を触らせた。
萌花は恐怖だった。こんなものが自分の中に入って来るなんて無理、と。
しかし稜央はぎこちなく触れる萌花の手を払うと、萌花の下着を剥いで、指先で挿入場所を確かめてきた。
萌花は思わずやめてと声を上げる。大きな声を出すわけにはいかないので、抑えるように。
しかし稜央の耳には届かないようだ。
彼のあの指が今、誰も触れたことのない場所を弄っている。
萌花は混乱していた。
やがて稜央が下半身を割って入ってくる。
萌花は激痛に叫んだ。
声の大きさに驚いた稜央は、萌花の口を手で塞いだ。
掌の下で叫び続ける萌花。
「お願いだからそんな大きな声出さないで」
稜央が言っても叫ぶのをやめない。萌花の両目には涙が滲んでいた。
稜央は諦めて萌花から身体を離したその時、破瓜の証が赤く跡を付けているのを見た。
稜央は急にいけないことをしたような気持ちになり、背中を向けて座り込んだ。
萌花は後頭部と背中が痛かった。
それ以上に下腹部に強い痛みが残った。
様々な衝撃で、萌花はどうしたらいいか分からずにいた。
稜央が優しい言葉でもかけてくれれば良かったのか、わからない。
萌花もまた、稜央に声をかけられなかった。
こうして互いに痛みだけ残して、不完全に終わった。
* * *
夏休み中の学校帰りはいつも稜央が萌花を駅まで送っていた。
その日の帰り道は珍しく2人とも黙ったままだった。
いつもは繋いで帰る指も、離れたままだった。
「今日はここまででいい」
駅まで半分も来ていない所で萌花が言った。
「どうして」
「何となく…一人で帰りたい」
「俺のこと嫌いになった?」
「そんなことない…、ないけど…」
「けど、何?」
稜央も棘を含んだ言い方になった。
「ホントにごめん」
そう言って萌花は一人走り出した。
稜央は追いかけはしなかった。
#18へつづく