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祈りの声が響く 〜たしかなことばをつづれ another tale 3

- notice -
少々官能的な表現があります。苦手な方はご遠慮ください

「どうしよう」

くぐもった遼太郎さんの声。彼に頭から抱きかかえられている。
街角の路上。
行き交う人達も特に気にすることはない、クリスマスの夜。

「どうしましょう」

私も合わせるように言った。たぶん同じことを考えている。

「離れたくない」
「…はい」

それで、一緒にメトロに乗り込んだ。

* * * * * * * * * * *

遼太郎さんにしばらくぶりに呼び出された。
彼は6つ上の元上司で、ずっと憧れの存在だった。
私が今年退職した後、偶然街で再会し、それをきっかけに何度か飲みに行くようになった。
私の気持ちが恋であることに気づいた矢先、ショックな話を彼から聞いた。

彼は3ヶ月後に海外転勤でドイツへ発つ。
離れ離れになることがわかっていて、今さら告白なんて出来ないと思っていた。

だから、この気持ちはなかったことにしようと思った。思い出は少ないうちに消し去った方が、傷は浅いって言うでしょう?
遼太郎さんがどう思っているかも、わからなかったし。

でも、それはそんなに簡単に処理できるものではない。
好きになった気持ちは、1人で片付けられないもの。

そうして過ごしているうちに、遼太郎さんから「会えないかな」と連絡をもらったのは昨日だった。
クリスマスだから?
でも何だか、本当に神様が与えてくれた、奇跡の瞬間だと思えた。

だから、背中を押された気持ちになれた。
程よく入ったアルコールも手伝った。

「好きです」と伝えた。

「俺も好きだ」と言ってくれた。

神様はいるのかも、と思った。

* * * * * * * * * * *

メトロのドアの脇に、持たれるように2人立つ。
遼太郎さんは私を自分のコートの中に抱きかかえている。

まるで私を、何かから隠すみたいに。

特に会話もない。
それでも気まずさはない。

今は言葉がなくても、コートやセーターに厚く身体が包まれていても、体温が伝わるような気がした。
それに、やっぱり恥ずかしくて顔なんて見ていられないから、都合が良かった。

駅を降りると、線路沿いの道は店が並んでいるものの、シンとして静かだった。

緩やかな坂道を上がり、途中コンビニに寄った。
さらに5~6分ほど歩いたところに、遼太郎さんの住むマンションがあった。

部屋は既に退去の準備を進めているとのことで、物がとても少なかった。
ミニマリストみたい、というと、だいぶ処分したからね、もっと普通に生活感あったよ、と言った。

弟の春彦にメッセージを打った。

今夜は野島さんのとこに泊まることになった。

その後、私がどこに所在していいか戸惑っていると、遼太郎さんは私をベッドへ導いた。

両手首を掴まれ、すぐにあたたかな舌が絡む。
目を閉じると「俺を見て」と彼は言った。
ゆっくりと目を開くと、彼はフッと微笑んで再び唇を重ねる。

長い長いキスのあと、私を見つめたその顔は私の知っているものではなかった。
鋭い、雄の目つき。

そうだよね、男の人だもの。
でも私は、その目に改めて射抜かれてしまった。

遼太郎さんはわざとものすごく焦らして、私の反応を楽しんでいた。
「意地悪すぎます…」
そう訴えても悪戯げに微笑むだけ。
私も彼のそんなギャップにどんどん溺れてしまう。

やがて身体の一番奥まで貫かれると、強い痛みにも似た感覚が襲った。やはり訴えても緩めてくれない。
そんな状態がしばらく続くと、今度は言葉に出来ないような甘く疼くような痛みに変わる。
彼はゆっくりと動き出す。
身体の芯に生まれた疼きが、背筋から後頭部に向かって痺れるように走った。
叫びたいのを抑えても、長く声がもれてしまう。

完全に、支配されていた。

* * * * * * * * * * *

段々と窓の外が明るくなって行く。
ほとんど眠ることは出来なかった。
落ち着いて眠れる状態ではなかった。

やがてアラームが鳴り、遼太郎さんも目を覚ます。
「おはようございます…」
遼太郎さんは少し唸って、まだ眠そうに眉間に皺を寄せた。
額に手の甲を当てると、思いがけないことを言った。
「サボろうかな」
「え?」
「会社」
私がぽかんとしていると、いたずらっぽく笑った。
そして枕元にあったスマホを手にし、何かを打ち込んだ。
「連絡完了」
「え?本当に?」
瞳で頷く。
「え、じゃあ、私も、サボります」
遼太郎さんは静かに微笑んだ。
そして私を抱き寄せた。

しばらくベッドの中で過ごしていると、外から聞き慣れない音が響いた。

いや、音ではなく、”声”だった。

「あれは、何ですか?」
「アザーン、っていうらしい」
「アザーン?」
「ここ、モスクが近くにあるんだ。祈りの時間になると流れる」

都内でも珍しい、ジャーミィと呼ばれるイスラムの教会が近くにあるという。
そんな街に住んでいるんだ。

「きれいだよ、建物。一度中に入ってこともあるけど、本当に日本じゃないみたいで。圧倒されたな」
「お祈りするんですか?」
いや、してないけど、と笑った。見学ができたという。
「行ってみる?」

大きな通り沿いに、それはあった。

見上げて私は「すごい…」と言って、それ以上の言葉を失ってしまった。
「日本じゃないみたいだよね」
遼太郎さんも建物を見上げて言う。高い塔のようなものはミナレットというのだと、教えてくれた。

遼太郎さんは入口をくぐった。私もその後に続く。彼は近くにいた人に何か話しかけている。
その後振り向いて言った。「残念ながら今日はモスクの中は入れないみたい」

外に出た時に、また”アザーン”が鳴り響いた。
「1日5回の礼拝、でしたっけ」
ミナレットを見上げながら響きわたるその声に聴き入る。
独特の節回し。アラビア語なんだよね、と遼太郎さん。

その祈りの声に、何と言ったらいいのだろう、何処かへ誘われるようだった。
それは私にとって、とても心地の良い、安泰な場所へ…そんな気持ちになった。

「どうした?」

見上げたまま言葉を失った私に、遼太郎さんが声をかけた。

「なんか、すごいなって、思って…うまく言えないですけど」

2人して、ミナレットを見上げながら、祈りの声に耳を澄ませた。

「世界にはまだまだ知らないことがたくさんあるな。どこか遠くの場所でも、こんな風にどこからともなく集まって、床や大地に額をつけて祈る。ろうそくを灯して、歌をうたい祈る。壁に向かい懺悔と祈りを捧げる。
そこに響くのは鐘の音か、砲弾か、それとも静寂か」

独り言のように遼太郎さんは言った。

「あ、俺、無宗教なんだけどね。ここへ来て、夏希の言葉聞いて、急にそんなこと思った」

これからの私たちのことを思って、切なくなった。

「夏希」

不意に、名前で呼ばれた。
「は、はい」

「離れても、よろしくな」
「はい…」
「なに?」
遼太郎さんが覗き込む。「どうしてそんな顔する?」

「離れても大丈夫なのか、わかりません…」

遼太郎さんはため息をついた。でもその表情は柔らかだった。
「俺たち始まったばかりなのに、そんなこと言われては困るよ」
「…ごめんなさい」

遼太郎さんは私を優しい目で見おろした。そして、抱き締めた。
昨夜のことを思い出してしまい、身体が熱くなる。
そういえば、昨夜も”夏希“って呼ばれたな…。

「祈りはなんのためにある?」
遼太郎さんが抱き締めたまま訊いた。
「…祈りは…?」

「祈りは、愛する人のため」

私は遼太郎さんを見上げた。目が合う。

「祈りは世界の果てまで、届く」

なぜか、涙が溢れた。

「ずっとそばにいたら、そんなことしないかもしれない。離れるから祈るんだ。ドイツに行ったら教会に足を運んでみてもいいかもな。そこで決まった時間に祈る。夏希のこと、考える時間になる」

私にその声が、聞こえるだろうか。

8500km離れた場所から、届くだろうか。

私も、その声に重ねて祈りたい。

あなたと。

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END

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